Top             浮世絵文献資料館            浮世絵師総覧              ☆ やおぜん 八百善           浮世絵事典  ◯『大田南畝全集』「書簡」⑲279(蜀山人詠・文化十二(1815)年三月二十六日付書簡)   〝詩は五山役者は杜若傾はかの芸者はおかつ料理八百善    五山 菊地左太夫、名桐孫、字無絃、号五山、有五山堂詩話八編、住霊岸島坂本町    杜若 おやま若女形、岩井半四郎    かの 私衣(ナレギヌ)事【秘伝故名ヲアラハサズ】       遊女私衣、新吉原江戸町二丁目、若菜屋、初百川楼娘、名そよ    歌妓(ゲイシヤ)おかつ 駿河町、越後屋隣住、妹に梅、ふさ、其外多し。一年纏頭凡五百金    八百善 八百や善四郎、千寿に住、諸侯之仕出しをもいたし日々来客不絶、一年勘定三千六百七金、料        理屋多しといへども此上に出るものなし〟    〈蜀山人の狂歌は当時全盛を誇った詩家・役者・遊女・芸者・料亭を詠み込んだもの。八百善は山谷の最高級料亭であ     る〉  ◯『江戸流行料理通』八百善著 文政五年~天保六年(1822-1835)    江戸流行料理通 四編 蕙斎紹真画・北斎改為一筆・渓斎(英泉)筆 酒井抱一ほか筆 和泉屋市兵衛板  ◯『増訂武江年表』2p181(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (万延元年(1860)の項)   〝八月二十七日曇、南風烈しく扇(アオ)ぎしが、暮六時、猿若町一丁目勘三郎が芝居の後ろ茶屋奴利屋栄助    宅より失火して、二丁目三丁目もともに三座の芝居焼亡す。(中略)    (山谷拍戸(リヨウリヤ)八百屋善四郎焼くる)〟    ◯『閑談数刻』二〔百花苑〕⑫284(駐春亭一指?記・明治初年成稿)(「ぇ」の原文表記は「江」)   〝八百屋善四郎、福田屋と云。新烏越二丁目住宅。俳譜を好ミ、三味線を曳。    料理屋の雷名此人に続くものなく、遠方の御家敷方より日々折詰の絶る事なく、仕出しも八百八町ぇ出    し、御膳籠の置所なく、江戸一なれば日本一成れと人々の申せし也。魚切の時、御家敷の料理ありて仕    込を致さんと、日本橋へ行けるに魚一切之れ無し、いかがせんと尾張や善三郎へ立寄けるに、主人中け    るは、其の様に案事らるゝ事なかれと、かけ置たる鯛を入用分より多く出しくれければ、善四郎は当惑    いたしたる所ゆへ、天より降たる心地し大悦いたし、差出しけるに、御家敷の御料理の評列よろしく誉    られたりとぞ。此鯛なくば御大家へも出入ならず、呉々有り難き魚屋の志を感じ、直段の外に礼として    蒸寵を多く積たりと也        又或時芝居見物に行たるに、尾上菊五郎勘平にて腹を切らんといたせし時、土間より女一人舞たいへ登    り菊五郎の手を取、腹を切には及ばずといひける時、舞台番の居ざれば誰かれといふうち、客のさし図    にて八百善うづらより飛下り、其の女を連来り、いろ/\訳を申し馳走をし、ひゐきのあつきゆへとい    ひて大笑いたし喜びたり。        江のしま弁才天へは一月置ほどに、いそがしき中にて参詣し、品川より川崎迄駕寵へ乗、駕寵ちん二朱    遣し、川崎より神奈川迄乗ても二朱遣す。道中はたごやかごやのしらぬものなし。        江のしま百味講世話役講元になり行れし時、嶋の茶店に八百千代【女げいしやなり】嶋ちりめんのひと    へ物に緋ぢりめんの前かけして、今二人子娘にうつくしくつくらせ、茶汲女になり居たり、百味講の札    をかけて有けるに、うかれたる外の旅人も休みたると也。    講中も思ひ/\の思ひつきをして太神楽になりて行しも、子どもに成しも女に成て行しもありと也。    藤浮迄もうせんを引し駕寵を出し、八百善は上下を着し、外の人は袴にて迎に出たり。江戸より料理職    人を多く連行、青物乾物を馬にて廻し置たるゆへ、十分料理の行届きたり。百味神楽済て酒盛中ばに至    り、海にて花火をあげさせ、八百善は知らぬ顔にて居たり。花火済て後、踊子三人にて、(「升伎」の    添え書き)八百千代三味せん、富本豊志太夫、常太夫、安和太夫、荻江佐吉、五丁、王や庄八其の外大    勢にてうたひ舞して夜を明したり。」        金沢瀬戸橋、蔵前森村抱儀、八百善同道して東屋に逗留して掛かへたり。     逗留中小さき富の箱をこしらへ、家内の者近辺の者迄多く呼集め、札を渡し置、きりを立て、突当り     へは傘、下駄、ざうり、わらじ、手拭、ふんどし、はながみ、油元ゆひ、髪結、やうじ、はみがき、     べにおしろひの類、雨ふりける時は催して皆々を喜ばせたり。     自作の端唄をこしらへ、摺ものにして所々へ遣し、江戸とびと云唄を作り、三味せんの手を附る。      するがや市兵衛、竹いせや信太郎、玉や庄八、山田流、おきた、連中也。        料理通 遠国の人買ひてみやげとす。      八百善の旬    初春や青竹垣に日の光り     塵穴へ一ツ来て啼蛙哉    二陪から灯のさす庭や春の雨     貰ふたる氷室に巧むさしみ哉        二代目善四郎、俳名 〇沙山、法名〇一乗【現成上人より戴く】    茶、広井宗微門人、河東節、男 沙洲連中。      六阿弥陀参詣の砌六宇を頭に置て    一番 豊しま 南(な)にとなく豊に稲の実法かな     二番 沼田  無(む)しさへも鉦をたきて後世頼む    三番 西ヶ原 阿(あ)き風や念仏にまじるおんあぼきやア    四藩 田畑  弥(み)おろせば能き花のなり脚やすみ    五番 下谷  陀ゐ慈悲の風も冷しき秋のはぎ    六番 亀井戸 仏花咲や彼岸の高念仏    木あまり 元木 木は何の余り歟知らでありがた木       終 数多あれど略す    真実心のある人の句なれば認候。平生も人に恵む事多し、    包丁の上手也     (中略)       三代目【定七男】善四郎、幼名千太郎と云、俳名沙山【二代目の名を継】茶は雲州流、河東ぶしを語り、    俳諧を好。    座敷の造作惣而工夫の上手にて、御大名へも茶人にも向く様になしたり。庭のもやう、石の居かた、樹    木の植つけ、田舎家の趣向、襖びやうぶ、一切の道具何によらず新工夫をする事、此家業に生れ附たる    人也。其上母親に孝行にして、妻と和合し、召仕の者、職人へも他人にも慈悲心ありて、癇の気なく、    柔和正直にて誉ぬものはなく、御客もひゐき多くして益々繁昌なり。是御先祖の御かげなるべし、代々    のうち悪人は一人もなく、名の通り皆々善人打績こそ有り難けれ〟    〈三代目【定七男】の定七とは初代八百屋善四郎の次男〉