Top 浮世絵文献資料館 浮世絵師総覧
☆ わらいぼん 笑い本 浮世絵事典
(春画〈しゅんが〉・枕絵〈まくら絵〉・笑い絵参照)
☆ 弘化四年(1847)
◯『藤岡屋日記 第三巻』p201(藤岡屋由蔵・弘化四年(1847)記)
〝十一月十二日、永代橋御普請に付、御見分として南御奉行遠山殿新堀通り御通行之処、新堀の往還にわ
らい本ならべ有之、御目に留りて直に御取上げに成、翌十三日、江戸中にならべ有わらい本御取上げ也。
是は遠山殿の仰に、我が通る処にさへ如斯大行に春画ならべ有からは、江戸中の往来にならべ有べしと
て、翌十三日に町方同心名主差添、江戸中にて取上る也、凡百十一人也、本と取上げ名前を留て行也、
柳原土手計にて拾両計の代もの也〟
〈なぜ、江戸中の路上に春本が並べ置かれたのであろうか。橋の普請と関係あるのか。町方同心や名主が回収した
とあるが、しかし奉行所には並べた者を詮索して咎め立てようとする様子はないし、また並べた方にもお上に逆
らって意図的に置いた感じもない。一種のお呪い・風習らしくも思われるが、よく分からない〉
☆ 慶応二年(1866)
◯『藤岡屋日記 第十三』p465(藤岡屋由蔵・慶応二年(1866)記)
◇春画、パリ万博出品
〝三月廿三日 町触
今日拙者共、北御番所ぇ御呼出し有之、罷出候処、今般仏国博覧会ぇ御差出しニ相成候品之内、近世浮世
絵豊国、其外之絵ニて極彩色女絵、又ハ景色にても絹地へ認候巻物画帖之類、又ハまくらと唱候類ニても、
右絵御入用ニ付、売物ニ無之、所持之品ニても宜、御買上ニ相成候義ニは無之、御見本ニ御覧被成度候間、
早々取調、明後廿五日可差出旨被仰渡候間、御組合内其筋商売人手許御調、同日四ッ時、右品各様御代之
衆ぇ御為持、所持主名前御添、北御腰掛ぇ御差出可被成候、無之候ハヾ、其段同刻、御同所迄御報可被成
候。
三月廿三日 小口世話掛
右、古今異同を著述
夫、わらい本ハ春画と言て、戦場ニて具足櫃ぇも入候品ニて、なくてならぬ品ニ候得共、若き男女是を見
る時ハ、淫心発動脳乱して悪心気ざす故ニ、此本余り錺り置、増長する時ニハ御取上ゲニ相成、御焼捨ニ
相成候、其品が、此度御用ニて御買上ゲニ相成、仏蘭西国ぇ送給ふ事、余りニ珍敷事なれバ、
母親の子に甘きゆへ可愛がり末ハ勘当する様になし〟
☆ 明治二十年代(1887~1897)
◯『氷川清話』「文芸と歴史」「蜀山人その他」p305(勝海舟、明治二十年代談)〔講談社学術文庫本〕
〝(上略。蜀山人・山東京伝の書き留めた随筆を買い損ねて惜しいことをしたという記事あり)以上戯
作者とは、ずつと下つて、春水、三馬、一九、その他こんな連中が大分あつたが、みな下卑てゐたよ。
私は武芸一方で、あまりかういふ風の男とは交際(ツキア)はなかつたが、それでも今の小説家なんぞよ
りは、ずつと器量は博く気前も大きかつたらうよ。それにこの頃は笑ひ本が沢山流行つたよ。-(今
は禁制だがね)-みんな、種彦だの、京伝などが書いたので、なか/\旨く書いてあつたよ。旗本そ
の他所々の邸々へ貸本屋が持つて来たが、見料は通常の十層倍もして、おまけに一朱、二朱の手金(テ
キン)を取られるのだが、それでもみんな争つて借りたよ。いはゞ当時の戯作者は万能に通じて居たの
だネ〟
〈この「笑ひ本」が必ずしも「春画」かどうか分からないが、参考までの収録した。手金とは手付金のこと〉