Top             浮世絵文献資料館            浮世絵師総覧         ☆ わかゐおやぢ(若井兼(かね)三郞)       浮世絵事典  ☆ 明治七年(1874)    ◯「明治以降浮世絵界年譜稿(其一)」吉田瑛二著・『浮世絵草紙』所収・1945刊   〝明治七年    ウィーンの博覧会へ美術品出品の整理の為め、最初の貿易商社たる起立工商会社立つ。社長松尾儀助、    副社長若井兼三郎(若井おやぢ)なり〟    〈ウィーンの万国博は明治六年の開催。若井は美術品専門家として赴任していた〉  ◯『明治十年内国勧業博覧会審査評語』(2)内国勧業博覧会事務局 明治十年刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)※◎は難読漢字   〝第三区 第二類 美術    龍紋 美術上ノ製品 木挽町六丁目 若井兼三郎     数年前事務官ニ随テ澳国博覧会ノ行アリ。松尾儀助ト相謀リ一社ヲ創立シ、尋テ米国ノ会ニ赴キ、大     ニ輸出ノ途ヲ開ク。其製品能ク彼我ヲ酌量シ、意ヲ改良ノ一点ニ注ギ、工ヲ課シ成ルヲ責ム、勉励ノ     巧亦大ナリトス。此会出品ノ小箪笥ニ各様ノ印籠ヲ摸◎シ、衆手ヲ分ツテ其巧ヲ競ハシムルノ意匠尤     妙、且勧誘ノ道ヲ得タリ。爾後勉メテ已マズンバ、愈々其社ノ隆盛ヲ致スノミナラズ、工芸ニ裨補ア     ル亦尠ナカラザルヲ証ス〟    ☆ 明治十三年(1880)  ◯「明治以降浮世絵界年譜稿(其一)」吉田瑛二著『浮世絵草紙』所収・1945刊)   〝明治十三年    此頃フェノロサ、ペンケイ、ビゲロー、キヨソネ、ワグネル等、浮世絵に関心もち、国内に於て買集め    める。為めに錦絵商活気を生じ、買入広告。当時国内人にして浮世絵に注目した人々としては、学者で    岡倉覚三、商人で林忠正、松尾儀助、若井兼三郎、小林文七なり〟   〈『浮世絵芸術』40号(日本浮世絵協会・1773年刊)に、宮尾しげを氏の「岩(ママ)井おやぢの博覧会随行」という一文があり、    そこには「事務官随行員」として海外出張するよう若井兼三郎に命じた博覧会事務局発行の辞令書(明治7年・9年・11年・14    年分)が、それぞれ写真で掲載されている〉  ☆ 明治二十一年(1888)   ◯「読売新聞」(明治21年5月31日付)   〝美術展覧会私評(第廿五回古物品)    頃日陳列せられたる浮世絵数十幅のうち 本多忠敬君の西行と江口の君の横物は俗ならずして品位あり    これにつゞきては 若井兼(かね)三郞氏の奥村政信の女万歳 北尾重政の美人炬燵にあたる図なり 勝    川春章の花下傾城と 黒川新三郎氏の同筆の御殿女中とは 少しく筆意の異なるがごとく見ゆるは 遊    女と上﨟との品格あれば自然の事なるべし    若井氏の喜多川哥麿の背面の傾城は淡彩にして 運筆軽く同筆の扇面に夏の婦人も亦同じ趣きなり     哥麿門人月麿の美人は落款に      文化元甲子春三月未□喜多川一流倭画司筆        喜久麿改  正名 月麿図□□      とありて讃は 世の中にたえて美人のなかりせばをとこ心のゝどけからまし     種彦戯題(けだい)とあり 葛飾北斎の清少納言は亀田鵬斎(ぼうさい)の讃あり      林下風流壓風流 香爐峯雪捲簾看 一編施簒無人続 自許情千古難  鵬斎老人題     窪俊満の大原女は蜀山人の讃あり      黒木めせめせ/\くろぎさゝをめせこくもうすくもきこしめせ/\       これは何がしの門院の御歌をなん 蜀山人書     歌川国長の雪中傾城は莱翁の讃あり       仏は法を売 祖師は仏をうり 末世の僧は祖師を沽(うる) 汝は五尺のからだをもッて 一切衆       生の煩悩をさます 色即是空々即是色 柳はみどり花は紅のいろ/\ぞ      池の面によな/\月はかよへどもこゝろもとめずかげもとゞめず        古稀復重酔中戯墨 印          其他同筆の夏の美人 哥川の祖豊春の傾城 池田英泉の花下傾城 蹄斎北馬の布さらし 魚屋北渓の稲    苅 勝川春亭の子供遊び等 何れも着色鮮美なるが 中にも哥川国貞(后二(ママ)世豊国)の田舎源氏の    双幅最も艶麗なり 以上数幅は若井氏の出品なり〟  ◯『明治奇聞録』青木銀蔵編 エックス倶楽部 明治三十五年刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(79/137コマ)   〝若井兼(かね)三郞、名画を外人に売らず    明治廿一年の春なりき、南鍋町に有名なる骨董家若井兼三郞、その所蔵なる巨勢金岡の象の幅物を益田    孝に一千円にて売払ひしが、或る人の之を見て偽物なりと言ひしより、孝は直ちに代言人某に托して代    価取戻しの請求を申込みぬ、兼三郞これを聞ひてカラ/\と笑ひ、増田氏は鑑定の明(めい)なき人かな、    されば代金は何時にても品物と引換に御返し申すべけれど、原価の千円にては画幅の価格を落す訳なれ    ば別に百円だけ利子を添へ申さん、とて都合千百円にて彼の一軸を買戻しけり、此の事忽ち横浜の外国    人に聞えて五千円にて買入れんと言ひしも、斯(かゝ)る稀有の名画を外国へ出さんは本意にあらず、と    て承引(うけひ)かず、次ひで岩崎家その他より申込引きも切らざれば、価格は次第に上りて、終に一万    円にて宮内省へ御買入となりけり〟