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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ わごうじん 和合神
浮世絵事典
◯『増訂武江年表』2p56(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊) (文化年間・1804~1817) 〝
和合神
の画像はやり始む(其の図は人の知る所故いはず。近頃渡り来れる清朝の板に多くあり。画上に 題して「和合生万福、日進太平銭、随亭高孚書、万事吉兆図」とあり。貴人も常に床に掛けられたり。 (以下略)) 筠庭云ふ、和合神、初めは万事吉兆図と云ひ、元禄中長崎訳者より井上河州侯に献ぜしを、其の老臣 にあたへられ、それより転伝して一ッ橋殿写させられしが、寛政八年十二月、神田橋の館にて焼失。 其の後文化五年八月、野々山六郎右衛門に命ぜられ、又彼の原本を写させらる。原本は御家士高山重 右衛門が所蔵なり。夫より望む人多く、野野山諸人に写し与ふ。余りに所望多ければ、百幅を限りと したり。是れこの図の行はれし起原也。享和の頃、
鈴木芙蓉
なども、この図を望まれて度々書けるを 見たり。流行始めは猶前なれども、盛りになりしは前説の如し〟