出典:『諸問屋名前帳』57巻〔50〕「団扇・草紙・煙草入・花松」(国立国会図書館デジタルコレクション)
※◎は判読できなかった文字
☆ 寛政三年(1791)
◯「諸問屋名前帳」(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝寛政三亥年二月被仰渡候私共商売体団扇絵之儀 以来新板もの猥成異説 時々雑説 又は当前世上ニ有
之無筋之噂事 其外男女風俗ニ拘(カカワル)如何敷(イカガワシキ)儀等 絵板行類不致(云々〟
〈この文言は下掲嘉永四年の「諸問屋名前帳」所収のもの。これによれば、寛政三年二月、団扇問屋に対して、猥りな
る異説、時事の雑説、根拠なき噂、男女の風俗に拘わること、華美なるものの出版を禁じる旨の統制令が出されたこ
とが分かる〉
☆ 天保八、九年頃(1837-8)
◯「大江都名物流行競 二編」(番付 金湧堂 天保八、九年頃刊)
(早稲田大学図書館 古典籍総合データベース「ちり籠」所収)
〝名家名品
高直 ニホンバシ 金花堂団扇/下直 ホリエ丁 伊場屋団扇〟
〈金花堂は日本橋の書物・地本・団扇問屋であった須原屋佐助の屋号。伊場屋は伊場仙こと堀江町の伊場屋仙三郞〉
☆ 嘉永四年(1851)
◯「諸問屋名前帳」(国立国会図書館デジタルコレクション)
(嘉永四年(1851)再興された団扇問屋名)
〝此度問屋組合之儀 文化以前之通再興被仰付 御調之上団扇問屋現在人数名前帳奉差上候 以後月行事
を立 相楽ニ直段引下ケ方厚心掛ケ 実直ニ渡世可仕候 新規加入又は廃替休業共 其時々奉頼御差図
請可申候
一 寛政三亥年二月被仰渡候私共商売体団扇絵之儀 以来新板もの猥成異説 時々雑説 又は当前世上ニ有
之無筋之噂事 其外男女風俗ニ拘(カカワル)如何敷(イカガワシキ)儀等 絵板行類不致 是迄仕来之外新規ニ花
美之儀致間敷趣 弥以相守 絵柄等是迄之通絵双紙懸名主中え差出改請 実直ニ渡世可仕候
嘉永四亥年三月
遠州屋又兵衛 堀江町弐丁目 佐兵衛地借
小島屋重兵衛 堀江町弐丁目 家主
伊場屋仙三郞 堀江町壱丁目 五人組持地借
伊豆屋善八 堀江町壱丁目 与兵衛地借
海老屋林之助 堀江町弐丁目 佐兵衛地借
伊勢屋惣右衛門 堀江町弐丁目 家主
伊勢屋市右衛門 堀江町弐丁目 甚太郎地借
伊勢屋嘉七 堀江町弐丁目 弥三郞地借
小山屋半五郎 堀江町弐丁目 紋蔵地借
相模屋久蔵 堀江町弐丁目 惣右衛門地借
佐野屋喜兵衛 芝三島町 長兵衛地借
増田屋銀治郎 芝三島町 家主
榛原屋直治郎 通壱丁目 作右衛門地借
喜多屋孫兵衛 神明町 家持
若狭屋与市 芝三島町 六兵衛地借
須原屋佐助 通四丁目 長右衛門地借
丸屋清治郎 宇田川町 文治郎地借
三川屋平六 元四日市町 五人組持地借
今井屋宗兵衛 本町弐丁目 元助地借
伊勢屋孫兵衛 堀江町弐丁目 家主
☆ 明治二十三年(1890)
◯『【商人名家】東京買物独案内』上原東一郎編集・出版 明治二十三年七月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
「う」団扇の部(112/185コマ)
小山半五郎 東団扇/紀州蜜柑 問屋 日本橋区堀江町二丁目(入山形に「中」)
御名入御誂向 略暦小間紙御好次第
池田屋吉兵衛 団扇蜜柑/絵紙略暦 問屋 日本橋区堀江町壱丁目(丸に「伊」)
伊勢(ママ)屋仙三郎 団扇/略暦 問屋 日本橋区堀江町壱丁目(丸に三つ引き)
〈伊(場)屋仙三郎の誤りであろう〉
☆ 明治二十六年(1893)
◯『国民必携懐中博覧』東京 山口米吉編 益世館 明治二十六年十一月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝団扇問屋
村川惣衛門 伊勢惣 日本橋堀江町
植木林之助 海老屋 同上
中村佐太郎 金花堂 日本橋通四丁目
石福巳之助 伊場仙 日本橋堀江町〟
◯『新撰東京案内鑑』小島猪三郎編 指南社 明治二十六年十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(第三編 商人録)
〝団扇問屋(177/244コマ)
榛原 日本橋通一丁目 金花堂 日本橋通四丁目
河原崎 浅草黒船町 伊勢屋 日本橋堀江町三丁目
幸山堂 日本橋小伝馬町三丁目〟
☆ 明治二十七年(1894)
◯『国民必携懐中博覧』東京 柳口米吉編 益世館 明治二十七年十二月(1894)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝団扇問屋(103/112コマ)
伊勢惣 村川惣右衛門 日本橋堀江町 海老屋 植木林之助 日本橋堀江町
金花堂 中村佐太郎 日本橋通四丁目 伊場仙 石福巳之助 日本橋堀江町〟
〈明治31年12月刊『国民必携懐中博覧』には、この「団扇問屋」の項目が姿を消す〉
☆ 昭和以降(1926~)
◯「涼台漫語」有山麓園 17/36コマ(『江戸文化』第三巻八号 昭和四年(1929)八月刊)
◇「団扇河岸の海老林」
〝 暑くなると思ひ出されるのは、日本橋堀江町の団扇河岸のことである。茲処には団扇問屋が数軒あつ
た、中にも海老林といふのは主個(あるじ)が頗るの劇通で、その頃六二連の一人だつたかと思ふ。大体
団扇といふものは江戸時代の方が盛んに行はれたのだ、今の様に電気扇風機などのなかつたからでもあ
らうが、芝居茶屋、料理店、遊船宿、各種の飲食店、芸人社会等の暑中見舞は概ね団扇と極つて居るし、
名披露、開店などにも用ひられ、随分之等の団扇には贅をつくし、金をかけたものが多かつた、古い団
扇画を集めることは高い錦絵以外にたしかに江戸の情味を掬すべき一資料たるに足るものであらう〟