◯「明治以降浮世絵界年譜稿(其一)」(吉田瑛二著・『浮世絵草紙』所収・1945刊)
〝明治十年(1877)
この頃西鶴本五銭なり。歌麿流行し歌麿保護会出来る。これ国内に於て漸く浮世絵趣味のきざるによる。
この時分、吉原遊郭内にて錦絵の陳列会、浅草松山町我楽堂にて細絵の陳列、猿若町の芝居にて演劇に関
する展覧会等行はれ、古版画趣味漸く普及す〟
◯「古版画趣味の昔話」p131(大正七年(1918)一月『浮世絵』第三十二号)
(『梵雲庵雑話』岩波文庫本)※(かな)は原文の振り仮名
〝昨年(大正六年)の十月には、歌麿墓碑建設会の主催で、遺作展覧会が開かれたのに因(ちな)んで、私の
歌麿観を一言附添(つけそ)えて置きたい。既に本誌の歌麿記念倍大号が発行され、諸大家の歌麿に関する
考証やら、批評やらが種々発表され尽したのである故、今更(いまさら)蛇足とは思われるが、所感のまま
を列ねて置く。私は古今の浮世絵師中、美人を画くに当って、艶美(えんび)という点において、歌麿の右
に出づるものは全く無いと信ずる。春信なども筆行(ふでゆ)きはよく、技巧も表現法も立派であるけれど
も、むしろ上品に描いたものであって、艶美の点に至っては、到底歌麿に匹敵し得るものではない。美人
画においては、歌麿を以(も)って浮世絵師中第一のものと称するに何人も異論はあるまいと思う〟