☆ 明治五年(1872)
◯『増訂武江年表』2p244(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(明治五年記事)
〝此の頃より始まりて、兎を弄ぶ人多し。高価を以て購ひ勝劣を争う輩あり(所々会合を催す)〟
◯「集古会」第百五十九回 昭和二年一月(『集古』丁卯第二号 昭和2年2月刊)
◇課題 卯に関するもの
山中笑 (出品者)うさぎ流行の錦絵 三枚
中沢澄男(出品者)兎流行の錦絵 一組二枚 明治六年版 孕み兎人力車に乗りて下り坂の図なり〟
◯『明治の東京』p59(鏑木清方著・昭和十八年二月記)
〝兎後談 附記
兎の流行時には、これに因んだ錦絵が沢山でたり、俗謡、小咄、の類もあまた出来て、一時市中を賑わ
したというが、大津絵の一つに、梅川(ウメガワ)忠兵衛の替歌を一つかきつけて置く。
「大かごを立ちぬいて、兎の姿が目に立たば、さげかご身をうつし、馴(ナ)れぬはた師の手にかかり、
二日三日と身をまかせ、二十日(ハツカ)妊(バラ)みが四十両、つがいはなして雄が二分、柿よりだい
じな黒ざらさ、さぞやおからも高かろが、たんと食わして子を殖(フヤ)やしゃんせ」
柿色だの、黒更紗だのいうのが珍重されたことがこの歌でも窺われる。はた師とあるのは特殊の名称ら
しいが寡聞(カブン)まだ審(ツマビラ)かにせぬ。ただ前後のつながりで推すと、仲買のようなものではない
かと思われる〟