◯『塵塚談』〔燕石〕①289(小川顕道著・文化十一年成立)
〝京都草紙屋八文字屋浮世双紙五冊物、役者評判記三巻の事、自笑、其碩といふ者述作にして、毎年正月
二日定式にて、大伝馬町鱗形屋孫兵衛といふ絵草紙問屋売出せり、五冊物には名文も多し、評判記は、
京、大坂、江戸、芝居歌舞伎河原者の、顔見世狂言の善悪を評せる者也、顔見世狂言は十一月朔日より
始れ共、二三日の内は式のみにして、狂言は省略す、やう/\五六日頃より取〆る狂言の評判を、京都
にて梓行し、江戸へ下し、正月二日江戸にて売弘む、誠に速なる事、驚入たる仕業也、延享、寛延の頃
は、両書とも、皆人待兼見る事にて有しが、五冊物は宝暦の末より絶て、梓行なし、評判記は、京都に
て作りて、今以出れども、正月二日よりは出ず、程過て江戸へ来る也、其故に、折節、江戸にて江戸役
者計の評判を拵へ、梓行し売れども、江戸作は人々更に賞翫せず〟
〈『近世風俗志』巻之二十八「遊戯」は上記『塵塚談』の記事を引いたあと、次のように説明を加えている。「かくのご
とく古は冊子の類、京師より江戸に来たり、江戸作者は秀でざりしなり。近世は江戸作者名人多く、京坂作者に名ある
者なく、故に戯作本板行希なり」と。京坂の浮世草子が宝暦年間に廃れ、それに代わるものが生まれないうちに、宝暦
の末年、江戸の方に風来山人のような戯作者が台頭してきて、文運東漸の観を呈するようになっていったようだ〉