☆ 明治二年(1869)
◯「明治以降浮世絵界年譜稿(其一)」吉田瑛二著『浮世絵草紙』所収・1945刊
〝明治二年
当時浅草見付附近の路傍にて露店にて黄表紙や尺余に積んだ錦絵を売る。その価一枚一銭位なり。露店
にては、鼠取薬を売るを本業とせる吉兵衛と云ふ男知らる〟
〈西洋における古版画評価の高まりが日本に伝わる以前の値段である〉
☆ 明治十年(1877)
◯「明治以降浮世絵界年譜稿(其一)」吉田瑛二著『浮世絵草紙』所収・1945刊
〝明治十年
この頃西鶴本五銭なり。歌麿流行し歌麿保護会出来る。これ国内に於て漸く浮世絵趣味のきざるによる。
この時分、吉原遊郭内にて錦絵の陳列会、浅草松山町我楽堂にて細絵の陳列、猿若町の芝居にて演劇に
関する展覧会等行はれ、古版画趣味漸く普及す。この時代の古書店として知られたるは三久、京常、淡
路町の斎藤(綽名バイブル)、酒井好古堂(当時和泉町)等なり。欧州では、既に浮世絵を注目す。大
体仏英独米の順なり。而して学術的な研究の外に、浮世絵を実用的に生活に応用すること行はる〟
☆ 明治十七年(1884)
◯「明治以降浮世絵界年譜稿(其一)」吉田瑛二著『浮世絵草紙』所収・1945刊
〝交換会「紙集会」生る。主催者は清水晴風、花屋花影、世話係は村上友吉、鈴木雅楽堂、常連として三
代目広重、仮名垣魯文、梅素薫、元禄屋主人等なり。これ交換会の始めならん。当時浮世絵の海外へ流
出する径路は、紙集会→村上友吉→若井兼三郎(骨董商、京橋瀧山町)→松尾儀助(木挽町)→林忠正
なり。当時の浮世絵の価格は懐月堂十枚一円六十五銭。清信の細漆絵七枚で五十銭五厘。「絵本舞台扇」
は一円にて高価なりと云はる。東京の錦絵売買店としては、上述の村上、鈴木の外酒井藤兵衛(好古堂)
吉田金兵衛等あり。酒井吉田は、浮世絵商として元祖なりと云はる。他は骨董商又は古書籍商の副業な
り〟