Top
浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ うきよえし みょうごうじょうと 浮世絵師 名号譲渡
浮世絵事典
☆ 天保九年(1838) ◯『馬琴書翰集成』⑤13 天保九年(1838)二月六日 殿村篠斎宛(第五巻・書翰番号-3) 〝(『絵本三国志』)右画工の事、第三編ニ
葛飾戴斗
トあれバ、桂窓子ハ云云被申候へども、
前の北斎
也 と思召候よし。それハ乍憚、思召ちがひニて可有之候。
後の北斎
ハ、俗称近藤伴右衛門ト云、麹町平川 天神前、高家衆京極飛騨守殿家臣也。文化中、金七両ヲ以、その師ニ
葛飾北斎戴斗
の名号を譲りうけし 者是也。この後、
前の北斎
ハ
為一
と称し候。これらニて御了然たるべき歟。その画の拙、彼近藤伴右衛 門ならバ、さこそと致想像候〟
〈『絵本通俗三国志』(池田東籬亭校正・葛飾載斗画・天保七年~十二年刊)の画工葛飾戴斗を、小津桂窓は「前の北斎(為 一)」と勘違いしていたのである。文化年間「葛飾北斎戴斗」の名号を七両で譲渡したという。それにしてもこの譲渡、後 に小津桂窓のような誤認が出るのは当然予想されたと思うのだが、版元等はそれをどう見ていたのであろうか。馬琴はこの 『絵本三国志』の出来栄えを「拙」とした。おそらくこの評価は馬琴に限らないであろうから、「前の北斎」の画力が低下 したという評判が広まるおそれはあった、北斎はそれを考慮しなかったのであろうか……。分からない、しかし名号に頓着 しなかったことは確かである〉