Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ うきよえ がりょう 浮世絵 画料浮世絵事典
 ☆ 文政四年(1821)  ◯『海録』二十巻(山崎美成著・文政三年~天保八年(1820-1837))   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝合巻并読本  絵草子の画工、古は価百文にて一枚を画きしが、北尾重政より二匁とりし也、今は五百    文位也、文字の書入も一枚十文位也しが、今は中々左にてはあるまじ、彫刻料も一枚古は五百文也しが、    今は一貫なりと【尚左堂話】、此比坊間に行はるゞ、敵討のよみ本のさしゑ、北斎、豊国などの絵がけ    るは、一枚金一歩二朱位也、作者へ料を以て謝礼せしも、近比まで五冊物にて五両づつ也しが、今は京    伝、馬琴など七両に至れり、十五両と迄なりしと云、古今の変之(これ)にてみるべし、昔は総て読本三    百部程すりしが、今は千も二千もする也、昔は画草子を青本といひ、今は前編後編ある故に、合巻物と    いふと也【辛巳七の六之を抄す】〟    〈この記事は文政4年7月4日のもので、尚左堂は窪俊満で文政3年(1820)没。俊満はいう、画工の画料、昔は一枚100文     だったのが、北尾重政あたりから一枚2匁になり(1両=4歩=16朱=60匁=6500文の化政期の相場で仮に換算すると約220     文に相当)、それが現在では500文位だと。それが北斎・豊国クラスとなると、一枚金1歩2朱位(先の相場で計算する     と約2400文)で飛び抜けて高い。彫師の手間賃は昔一枚500文が今では一貫(1000文)。文字の書入とは筆耕のことだ     ろうか、これが昔は一枚10文で、現在の手間賃というと記載はないが比較でいうと二三倍にはなっているのだろう。     そして戯作者の稿料はというと、最近まで五冊物5両だったが、京伝・馬琴の人気作者となると、7両から15両に達す     る場合もあるのだという。読本の製本数も、無論評判高いものだろうが、昔の300部から1000~2000部へと大幅に増     産したらしい。ところで「昔は画草子を青本といひ、今は前編後編ある故に、合巻物といふ」という文面から判断する     に、山崎美成のいう昔とは、合巻が登場する以前の、文化4年頃より前を指すようだ〉  ◯「北斎書簡」(嵩山房小林新兵衛宛 年月日不詳(天保七年(1836)頃?)   (『葛飾北斎伝』所収 岩波文庫本 p151 飯島虚心著)   〝唐詩選残丁三丁半、差上申候。毎度恐入候得共、画料四十二匁(云々)〟   〈「唐詩選」は『画本唐詩選』(嵩山房 天保7年9月刊)。「三丁半」で「四十二匁」、北斎の版本における画料、半丁6匁であ    る。42匁は、1両=60匁で換算すると0.7両。5丁で1両に相当する〉  ◯『若樹随筆』林若樹著(明治三十~四十年代にかけての記事)   (『日本書誌学大系』29 影印本 青裳堂書店 昭和五八年刊)   ※(原文に句読点なし、本HPは煩雑を避けるため一字スペースで区切った。【 】は割書き   (板下絵の値段)p58〈明治40年頃の記事〉   〝錦絵の板下絵の値段は 名人といはれし国芳にて一枚一分 他の芳宗【現在の芳宗は芳年の弟子にて二    代目也】芳ふじ等の弟子は二朱なり 而して国芳の武者絵の筆意巧みなる処は芳年に伝へ 意匠は芳兼     工夫画玩具絵は芳藤に伝はれり 云々 以上竹内久一君より聞く〟    〈錦絵の板下画料、国芳が1枚1分でその弟子が2朱。1両=4分=16朱だからその差は2倍である〉  ◯『春色三題噺』二編 春廼家幾久編・弄月亭有人校・朝霞楼芳幾画 文玉堂 慶応二年(1866)刊   〈この咄本に三代目歌川豊国が登場する三題噺があるので紹介する。麟堂伴兄作「梅見・錦絵・小判」の三題噺〉   (国文学研究資料館「日本古典藉総合データベース」画像)   〝絵草紙屋の主人(あるじ)、亀井戸へ梅見にゆき、彼(かの)豊国老人の処へ立寄(たちより)、梅屋敷の生    写(しやううつ)しを三枚つゞきに画て貰ひ度と注文いたしますと、早速に請合いますゆへ、代は何ほど    ゝ聞ましたら、外の品なら一枚十匁(ぢうもん)、三枚つゞきて弐百疋(ひき)が通例でござりますが、梅    屋敷の景色では小判一枚いたゞかねばなりませぬ。/夫(それ)は又あんまり高料ではないか/イへ梅や    しきの事でござりますから、画料倍(がれうばい)でござります〟    〈この豊国老人とは元治元年(1864)12月に亡くなった亀戸の三代目豊国(初代国貞)。豊国の住む亀戸は梅屋敷の「臥竜     梅(がりょうばい)」で有名な土地柄、その豊国に三枚続の梅屋敷図を依頼したところ「画料倍(がりょうばい)」を要     求されたという小咄である。一枚10匁、三枚続で200疋という画料、一枚、三枚続とあるから、これは錦絵の板下絵     の画料のことなのだろう。幕末の1疋は25文とされるから200疋では5000文、元治の銭相場は年平均で1両=6600文位で     あるから、なるほど1両の請求は法外であろう。ただよく分からないのは一枚十匁の記事。3枚続で200疋なら、単純     計算すると、1枚では68疋=1700文に相当するが、当時の銀相場1両=85匁で計算すると10匁は780文にしかならないか     らだ。ネット上の「江戸時代貨幣年表」参照〉  ◯『葛飾北斎伝』(飯島半十郎(虚心)著 蓬枢閣(小林文七) 明治二十六年(1893)刊)   (引用は鈴木重三校注の岩波文庫本)   (p151 北斎書翰 嵩山房・小林新兵衛宛 署名「浦賀旅人 画狂老人卍」)   〝唐詩選残丁三丁半、差上申候。毎度恐入候得共、画料四十二匁(云々)〟    〈「唐詩選」は『唐詩選画本』「天保七丙申年九月」刊。「浦賀旅人」とあるから、この書翰は天保6年から7年にかけてのも     の。「残丁三丁半」に注目すれば、恐らく7年であろうか。3丁半で42匁。1丁に換算すると12匁に相当する〉   (p197)   〝当時通常の画工の画料は絵本類一丁、金二朱(今の十二銭五厘)より多からざるが、北斎は一丁金壱分    即(すなわち)廿五銭)にして、得る所頗る多し〟    〈虚心が北斎の画料を金一分としたのは、下掲二月廿八日付・嵩山房宛覚書に拠るのだろう。絵本類における北斎の画     料は他の画工の倍らしい。なお虚心は明治の貨幣に直すのに1両=4分=16朱=100銭で換算している〉   (p237 北斎の嵩山房宛覚書、五月廿九日付 署名「前北斎 卍」)   〝金壱両と銀四拾弐匁 右者(は) 武者絵本、初丁より八丁半の画料として、慥(たしか)に受取仕(つか    まつり)候〟    〈この頃、嵩山房がら出版された北斎画の武者絵本には『絵本魁』(天保7年1月刊)と『絵本武蔵鐙』(同年8月刊)とが     ある。5月29日付の覚書にいう「武者絵本」とはこの二書のいずれかであろう。『絵本魁』の最終丁の「備後の三郞高徳」     に「天保六乙未年四月 歳七十六前北斎為一改 画狂老人卍」の署名がある。画料は仕上がり絵と引き替えで支払われ     るのであろうから、4月に最終丁を仕上げた絵本のはじめの1~8丁半分を5月に受け取るというのはいかにも不自然で     ある。するとこの絵本とは8月刊の『絵本武蔵鐙』のものと思われる。ともあれ8丁半で1両と42匁、1両=60匁として     1丁に換算すると、これも12匁ということになる〉   (p237 嵩山房宛覚書 二月廿八日付 署名「荒井町 八右衛門」)   〝金三歩 右者、万物絵本大全之中編、三丁画料に、慥に受取仕候〟    〈「万物絵本大全」は未詳。この日付の年代がよく分からない。3丁の画料に金3歩であるから1丁で金1歩、仮に1両=4歩=     60匁で換算すると、一丁15匁に相当する〉  ◯『浮世絵』第二号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)七月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「亀井戸豊国の作画料」無署名(15/24コマ)   〝 三代豊国の潤筆料について、小島烏水氏は『浮世絵と風景画』に春色三代噺を引いて「一枚十匁、三    枚つゞき二百疋が通例で御座ります」と これは落語の本だから実際を書いたのか、噺の下げに都合の    いゝやうに書いのか解らなぬが」と断わられて載せてある、石井研堂氏の『雅三俗四』には「二代豊国    (五渡亭)の三枚つゞきの錦絵は画料は三分なりしと云ふ」と出て居る、二百疋は五十銭、三分は七十五    銭である、先づそこいらであつたらう〟  ◯『浮世絵』第七号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)十二月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「思ひ出すまゝ」可阿弥(21/25コマ)   〝芳年の月百姿は秋山滑稽堂でやつたが、あの画料は稍高くなつて来た所で一枚十円であつた、明治十年    頃には三枚続で三円五十銭、それから五円とつた〟    〈『月百姿』の出版は明治十八年から〉  ◯「錦絵の揮毫料」麦斉著(『錦絵』第廿四号所収 大正八年三月刊)    (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝(浮世絵師寸談「錦絵の揮毫料」)     戯作者が、最初は別段作料とて、一定の報酬を取らざりしと同じく、浮世絵師も、錦絵の画料は、金    額を定めて請求すること無かりしが、その、額を定めて請求するは、一勇斎国芳より以後の事なりとい    ふ、地本問屋は、錦絵の出来上るや、その納本一部と、包み金壱封を、絵師の許に贈るを例とし、絵師    も、幾らの礼やら碌に改めもせず、之を神棚に供へおく、金子に入用を生じたる時に及び、始めて神棚    の包みを開きて使用する位なりし、然るに、国芳は、元来江戸ッ子肌の男にて、銭づかい荒く、人を寄    せて飲食せしむる事など多く、常に清貧なり、絵の方も、追々売出し来りて、書ききれず、医者の薬価    同様、先き次第にして居たらんには、やり切れざる所より、一定の額を定めて請求することにし、これ    より他の絵師も、追々潤筆を請求するやうになれり、故に亀戸豊国の晩年には、版下を地本屋(ママ)に届    ける時、潤筆料の領収書を同時に持たせやりて、現金引替にせしめ「書き出しをやつて取るのは、何だ    かきまりが悪いが……」など言ふこと屡(シバシバ)ありしといへり、当時、豊国の画料は、三枚続一組二    分なりしといふ、勿論、色ざしまで、すべての料金この内にこもる、当時の米価は、両に二俵といひ居    たり、故に一分にては米半俵を買ひ得べく、今日の米価に比すれば、約十円ならん、国芳の武者絵など    は、一組三枚にて金弐朱のこと多かりしといふ〟    〈1両=4分=16朱=米2俵。三代豊国、三枚続一組2分=8朱=米1俵。国芳、同2朱=米1/4俵。三代豊国の画料は国芳の四倍〉  参考   〈以下 原典の金額は漢数字だが算用数字に改めた〉  ◯『皇国名誉書画価表』番付 東京(小谷誠之版 明治十二年(1879)十月届   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝人物 柴田是真 全紙金1円    山水 松本楓湖 全紙金1円    画  高畠藍泉 金35銭    書  三木光斎 金35銭〟  ◯『大日本書画価額表』番付 東京(清水嘉兵衛編集・出版 明治十七(1884)年六月届)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝精密画一葉価額    暁斎 金7円 猩々暁斎 東京 湯島    是真 金7円 柴田順蔵 東京 上平右ヱ門町    楓湖 金4円 松本楓湖 東京 浅草栄久町〟   〝詩家    藍泉 金5円 高畠藍泉〟    〈藍泉の分類はなぜか詩家である。五円は書であろうか〉  ◯『大日本儒詩書画一覧』番付 東京(倉島伊左衛門編集・出版  明治十八年(1885)二月)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝画家部 東京 松本楓湖 5円以上        東京 勝川春亭 3円以下〟   〝画才  東京 柴田是真 20円以上  画力  東京 猩々坊暁斎 20円以上〟   〝画筆  東京 鮮斎永濯 15円以下  画勢  東京 大蘇芳年  20円以下〟   〝美画  東京 豊原国周 20円以上  新画  東京 落合芳幾  20円以上〟  ◯『書画一覧』番付 東京(児玉又七編集・出版 明治十九年(1886)届)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝画之部 浅草 大村英一  3円位        浅草 柴田是真 10円以上        ユシマ  河鍋暁斎  7円以上        浅クサ 松本楓湖  2円位        浅クサ 荒川国周  2円位〟    ◯『明治諸大家書画人名一覧』東京(松雲堂出版 明治二十三年(1890)刊)〈凡例に「庚寅初秋」とあり〉   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝絵画ノ部    是真 金3円  (凡1円50銭以上8円迄)柴田是真    省亭 金2円50銭(凡1円25銭以上6円迄)渡辺省亭    芳年 金2円50銭(凡1円25銭以上6円迄)月岡芳年    周延 金2円  (凡1円以上5円迄)  橋本直義    国松 金2円  (凡1円以上5円迄)  歌川国松    月耕 金1円50銭(凡75銭以上3円迄)  尾形月耕    国周 金1円50銭(凡75銭以上3円迄)  豊原国周    米僊 金2円  (凡1円以上5円迄)  久保田米僊〟   「本表ノ価格ハ凡テ小画仙紙、聯落ニテ執筆家ノ随意ニ依頼スルノ格トス。全紙ハ右ニ二割半或ハ三割ヲ    増シ半折四五、字額ハ同二割半或ハ三割ヲ減ズ、絖地絹地ハ別ニ其代価ヲ加フ(以下省略)」  ◯『全国古今書画定位鏡』番付(三宅彦次郎編集・出版 明治三十年(1897)三月刊)   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝今人書画部〈原典の金額は漢数字だが算用数字に改めた〉    画  松本楓湖  東京 金5枚   渡辺省亭 東京 金5枚       久保田米僊 東京 金4枚   英一晴  東京 銀20枚〈一蜻〉       小林清親  東京 銀20枚  尾方月耕 東京 銀20枚       落合芳幾  東京 銀20枚    画家 寺崎広業  東京 金3枚   鈴木万年 西京 銀30枚       小堀鞆音  東京 銀20枚〟    〈金一枚は金何円か、また銀一枚は何円か交換比率が分からない〉  ◯『集古会誌』己酉巻一(明治四十二年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝東都歳事記の画料     長谷川雪旦より書肆須原屋伊八に宛てたる覚書左の如し      覚     一 年中行事 五巻       七十丁       画代 一丁に付 七匁五分  七両二分          壹丁に付 壹匁五分増 九両     申     十二月   雪旦      須原屋伊八様       春上 八丁半 春下  十一丁       夏  十五丁 秋   十六丁       冬  十四丁 表紙  一丁       袋  半丁  内わく 四丁〟