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☆ うきよえるいこう 浮世絵類考浮世絵事典
 ※ △は関連記事  ☆ 寛政十年(1798)頃  ◯『浮世絵類考』大田南畝撰    寛政十年頃成立。〈『大田南畝全集』は『浮世絵考証』と表記〉
    浮世絵類考 大田南畝編    ☆ 寛政十二年(1800)    ◯『古今大和絵浮世絵始系』笹屋邦教編   (大田南畝の識語)   「右の始系は本銀丁縫箔屋主人【笹屋新七】所書なり写して類考の後の後に附す。参考して其実訂すべし。    猶後考をまつ。(ママ「の後」は衍字か)       庚申夏五晦   杏花園」   〈寛政十二年五月晦日、大田南畝(杏花園)はこの「始系」を写して、自身の『浮世絵類考』に補綴し一本とした〉
    古今大和絵浮世絵始系 笹屋邦教編     △『増訂武江年表』1p17(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (寛政十二年記事)   〝「浮世絵類考」成る、写本一巻(山東京伝著。笹や「邦教追考」をあらはす。又式亭三馬書入の本有り、    近頃渓斎英泉増補して三巻とす。抑(ソモソモ)浮世絵は大津又兵衛、英一蝶、宮川長春等を始祖とし、江戸    に名人多し。又天明寛政の頃より劂人(ホリニン)刷人(スリニン)の上手出て巧を尽し、次第に美麗の物出来て、    方物の第一となれり。諸国にまねぶ物あれど及ばず。     筠云ふ、「浮世絵類考」はもと杏花園の輯録にて、又浮世絵始系といふものは、本銀町縫箔屋新七が     しるせるなり。それを附録にして、杏花園が跋を書けるは庚申の中夏とあり。山東京伝その追考を書     きたるは、享和二年壬戌十月なり。「浮世絵類考追考」といへり)〟     〈斎藤月岑は「浮世絵類考」の著者を山東京伝としているが、喜多村筠庭の補注にあるように杏花園、即ち大田南畝が正    しい。南畝は、寛政十二年五月晦日、笹屋邦教の『古今大和絵浮世絵始系』を写して自分の『浮世絵類考』に補綴した。    さらに、享和二年(1802)十月には、山東京伝の『浮世絵類考追考』を写して一本化している。筠庭はこの経緯を把握し    ていたが、月岑は知らなかったようで、自らの『増補浮世絵類考』の天保十五年の序にもやはり「浮世絵類考」の編者    を笹屋邦教・山東京伝としている。本HP「浮世絵類考」「増補浮世絵類考」の項参照〉    ☆ 享和二年(1802)     ◯『浮世絵類考追考』山東京伝考証 (『浮世絵類考』『古今大和絵浮世絵始系』の次ぎに収録)   「享和二年壬戌冬十月記   山東庵」   〈享和二年十月成立。水野稔著『山東京伝年譜稿』によると「この年、菱川師宣の家系について、安房保田在の師宣曽孫    の甥に人を介して照介することあり」とある。その照会の結果がこの「追考」の中に「師宣の血脉」記事と保田の寺院    に寄進した鐘の記事となって現れている〉
    浮世絵類考追考 山東京伝考証    ☆ 文化五年(1808)    ◯『浮世絵師之考』六樹園本(北小路健著「浮世絵類考 論考・10」『萌春』207号所収)   (六樹園(石川雅望)の識語』)   「文化戊辰歳中秋初三日認之畢  六樹園」   〈文化五年八月三日、六樹園は大田南畝の『浮世絵類考』に拠りながら自らの記事を補って一本とした。これには『浮世    絵類考追考』と『浮世絵類追考』が全く反映していない〉    ☆ 文政元年(1818)    ◯『浮世絵類考』(大田南畝撰・笹屋邦教撰・山東京伝追考)   (大田南畝の識語)    「右追考 山東京伝手書本    文政元年戊寅六月晦日  七十翁 蜀山人」   〈文政元年六月晦日、大田南畝、山東京伝の手書本『浮世絵類考追考』を写す。そして、家蔵の自撰『浮世絵類考』と笹    屋邦教編『古今大和絵浮世絵始系』に、この「追考」を加えて一本とした。不思議に思うのは、筆まめで好奇心の旺盛    な南畝が、享和二年には既にできあがっていた京伝の『浮世絵類考追考』を、どうして文政元年まで写し得なかったの    かということ。京伝の「追考」は明らかに南畝の「浮世絵類考」の追考である。それなのに、京伝はその存在を南畝に    明かさなかったのだろうか。そんなことは両者の交流ぶりからいってもとても考えられないのであるが、ともあれ、な    んらかの事情があったものと思われる。山東京伝は文化十三年(1816)九月没、生前「追考」に出合うことが叶わず、    死後二年ほどして、どういう径路で南畝の許に届いたか分からないが、書写する機会を得た。当然、南畝になにがしか    の感慨があったものと思われるが、伝わってはいないようだ〉  ☆ 天保四年(1833)  ◯「浮世絵師伝」(『馬琴日記』第三巻 ③493 天保四年十月十四日付)   〝木村黙老より使札。(中略)近来浮世画工之事被問、白石(叢書)十の巻かし遣ス。(中略)浮世絵師伝    略文一通、認之。いづれも長文にて、九時比迄に書畢る〟    〈木村黙老は高松藩の家老。馬琴が黙老宛てに認めた「浮世絵師伝略文」とは未詳。これは、この年末から翌年一月にかけて馬     琴自身によって執筆される『近世物之本江戸作者部類』の中で、巻第四として構想された「近世浮世画江戸画工部」に組み込     まれてゆくものに違いあるまい。ただこの時点では馬琴にそんな想定はないだろう。後年の弘化二年(1845)、黙老は『戯作者     考補遺』を編集し終えるが、ひょっとしたらその中に反映している可能性はある〉  ◯『無名翁随筆(続浮世絵類考)』無名翁(渓斎英泉)著・天保四年(1833)序      〈『無名翁随筆』は、日本画史上における浮世絵の位置づけを浮世絵師・渓斎英泉(池田善次郎)が自ら試みた「大和絵師浮世絵の    考」と、錦絵誕生前史及び「一枚絵」との「草双紙」の変遷を概説した「吾妻錦絵の考」を巻頭に掲げている〉     無名翁随筆(続浮世絵類考) 無名翁(渓斎英泉)著  ☆ 天保十五年(弘化元年・1844)  ◯『増補浮世絵類考』斎藤月岑編・天保十五年(1844)序       〈本HPはケンブリッチ大学本の記述を引用している。天保15年序とあるが、その後も追記を重ねている〉     増補浮世絵類考 斎藤月岑編