◯『読売新聞』(明治26年(1893)4月28日)
〝外国人が浮世錦絵の嗜好に付て
近頃浮世絵大に騰貴し 歌麿・広重・豊国(以上二人は初代に限る)等の筆に成れるもの 一枚十円内
外の価格を持つに至りたり 之に付き或る人は云ふ 外人が是等錦絵を好みて 却つて肉筆を喜ばざる
は 先年肉筆ものゝ暴騰せる以来 往々偽筆もの顕はれ 数々(しば/\)外人を欺きたるに由り 乃ち
欺くべからざる板刻物を買込むに至りたるなりと 斯くと聞くより狡猾なる商人は 又密かに錦絵の偽
物を作りて売出したるに 是亦(これまた)強(あなが)ち廃物にはならず一枚十銭内外に売れ行く 代り
に正真の名画は漸次低落して今は一枚三円前後となる 之を差引勘定する時は 結句我に利益ありと得
意顔するは大(だい)なる誤りにて 外人の見る所は大(おほ)いに是等猾商の見る所と異なれる趣きなり
抑(そ)も外人が板刻に錦絵を愛するは 一枚三箇の美術を具へたるに由るものにて 即ち絵画彫刻着色
の三種は 大いに西洋美術家の参考とするに足ればなり されば其偽物も彫刻着色の二ッ尚ほ価十銭を
過当とせずして 外人の買入るゝ事なれば 差引勘定は結句彼等に大利ありて 数(かず)稍(や)や少な
き真物の下落は取りも直さず 我が損失に当る訳なりとぞ いつもながら日本猾商の失敗笑ふに堪たり〟
〈外人が肉筆への関心を失ったのは偽筆の横行にあるとする。それで人気が古錦絵へと移っていき、一時は一枚十円も
するものが現れるなど価格の高騰をみた。すると便乗するものがあって、今度は古錦絵の偽物を一枚十銭ほどで売り
さばく業者が登場した。いわゆる複製版画である。外人は錦絵の彫りと摺りの技術にも価値を認めるから、複製にも
興味示した。その結果何が起こったかというと、古錦絵相場の下落である。十円していたものが三円前後にまで落ち
込んだ。業者は儲けて得意顔だが、偽物が真正のものの価値を貶める、これこそ我が国の損失ではないかと、記者は
いうのである〉
◯「読売新聞」(明治26年5月29日記事)
〝歌丸(うたまるママ)の浮世絵益々輸出す
先年来古書画の海外に輸出する物 殊の外多く 就中(とりわけ)歌丸の浮世画は最も声価を博したるに
より 続々輸出する者多く 今は偽物さへ熾(さか)んに輸出するに至りたるが 明治七八年の頃 古仏
像の画幅大いに海外に声価を博したるより 続々偽物現はれ之が輸出を為して巨利を博せし者多く 遂
に信用失墜して 当今は殆ど輸出の形跡なしと云ふ前例もある事ゆゑ 当業者中 心ある者は憂慮し居
と云ふ〟
(参考)複製版画(本HP「浮世絵」事典【ふ】の項)
◯『菱川師宣画譜』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十二年(1909)七月刊)
(『浮世絵鑑』第一巻所収・国立国会図書館デジタルコレクション)
(『大阪滑稽新聞』引用)(45/50コマ)
〝△古本書肆の如きも頗るイカサマをやる、それは上巻とか中巻とかの端本の巻名を削り去つて「全」
の字を記入したり、又は其著書者の名を妄に変更する等である、現に記者が先頃京都で実見したもの
ゝ如きは、春川師宣筆とある絵本の「春」の字を削つて之を「菱」に改め菱川師宣筆としてあつた。
菱川師宣は天和頃の人、春川師宣は宝暦の大阪人であつて、其筆意は固より年代も大に相違して居る、
それを春川では高く売れないと云ふので、菱川と改めるなど、実にイカサマも甚だしい〟
◯『集古会誌』庚戌巻五 明治四十四年(1911)七月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝名家の末裔(四オ)岩本震五氏談
大口や暁雨の末孫は浅草に住し 書画の贋作をなし 其道にて名高し〟
〈大口屋暁雨は浅草蔵前の札差。江戸十八通の筆頭で、吉原での豪遊や芝居見物もおける大盤振る舞いに名をのこす。
享保~明和頃の人〉
◯『浮世絵』第五号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)十月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「浮世絵手引草(一)」(19/25コマ)
・北斎の肉筆にして 絹地墨絵十二枚屏風又は画帖に張込ある富士卅六景風のものは大方偽筆なり
・宮川長春の肉筆にて瓢箪の印章あるものも偽筆多し
・菱川師宣の錦絵(ママ)は在銘なし、若しあらば後人の模写せしならん
・宮川長春、西川祐信に錦絵に筆を執らざりし
・菱川師宣の「姿絵百人一首」は奥付に師宣とあれど、画風は正に師房也、恐らくは同人の偽筆ならん
か
◯『浮世絵』第七号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)十二月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「浮世絵手引草(二)」(23/25コマ)
・北斎の二冊物「道中画譜」は北渓の筆なり
・油絵風のドロ絵と称するものに 司馬江漢の在銘あるは概ね偽物也
・油絵風のドロ絵と称するものに 司馬江漢の在銘あるは概ね偽物也
・春宵秘戯の画に北斎と称するもの多くは北斎の娘栄女の筆に成れり
・初代広重の晩年の落款と二代の落款とは頗る酷似し 殆ど識別に苦しむ
・歌麿の若書きは落款楷書にして 晩年の落款は二代と頗る酷似す
・奥村政信の板書は 以前は落款のみなりしを偽板現はれしため 落款の下に瓢箪印を押捺し 世人に
注意を与へたり 且これに丸形方一寸位ひの中に(これに依らず散し書のものもあり)付記して曰く
「通塩町此方のゑにせ版候間ひやうたん印いたし候こんげん奥村板本」されば此瓢箪なきもの前書に
して これ有るもの晩年書なり
◯『浮世絵』第三十号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正六年(1917)十一月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「浮世絵漫六(七)」「版画と肉筆物」桑原羊次郎
〝(前略)今一つ注意すべき事は、今日世人が古版画として尊重して居る--政信の紅絵だの清長の三枚
続だの、政演の何だのと豊富なる古版画があるが、是等は果して真正の古板画であらうか、明治三十七
年頃 政信の紅絵が大阪某商の手に三通り出来て それがハンボルクや倫敦(ロンドン)や紐育(ニューヨーク)へ
巧みに或る間隔を置いて顕れた事を知つて居る人がある、云ふ迄もなく別漉の奉書に古紅を以て摺上げ、
其版木は三通目には叩き破(こは)したとの事である。斯の如く巧みに出来た新版物と古版物との甄別に
は欧米人も殆ど閉口して居るとの事である、其中で少し巧者と云はれた人が、マルデ売薬の封印の如き
封紙を版画の背面に貼附したり、又は林忠正氏の丸印のあるのが真正であると云つて居るが、其封印や
丸印の偽造さへ出来て、なか/\物騒千万である、元来が結核やチブスの黴菌を験べるのではあるまい
から、出版年代の新古に拘らず、立派な版画なればそれで十分であつて、千金を擲(なげう)つも亦可な
らずやである。版画の研究を古銭の研究と同一視してはイケナイ、好事(ものずき)に流れてはイケナイ
と云ひたい。
真贋の論より云へば、版画も肉筆物も其鑑定は困難であるに相違ない、然し内筆物は絵師が一旦墓場に
入りし後では模倣者が出ても、決して清長・歌麿・豊国の筆ではない、又清長・歌麿等の肉筆は其人が
蘇生せざる限りは再製は不可能である、然るに版画に於ては既に述べたる如く、初版二版と其当時に複
製があり、其死後間近に複製があつて、何れも今日より見れば古版として大騒ぎの品物である、されば
少し間隔年数を置きたる今の版画も、複製として卑(いやし)む事は慥かに間違であり、又上製のものは
古板と同一の代価を支払ふべしと云ふのである、殊に況んや古板木の発見せられたるものがあつて、こ
れに同時代の古紅・古藍・古奉書で摺立つるに至つては、唯其の摺立が大正年間に行はれたりと云ふ外、
何等の差異はないではないか、是等の点が肉筆物の再製不可能とは大いに異なる点であると謂はざるを
得ない。(中略)
浮世絵肉筆こそ、既に論ぜし如く浮世絵師の真面目であり、又全体である、他人の協力は毫釐も関係な
き物である、構図意匠は版画と共に絵師の独力とは云へ其筆触の快味、若し真の豊信、春信、清長等の
肉筆を一見せざる人々が、肉筆と版画の比較論をするならば、それは甚だ早計であると思ふ。(後略)〟