◯「浮世絵商の今と昔」竹田泰次郎談・昭和九年
(『紙魚の昔がたり 明治大正編』反町茂雄編・八木書店・1990年刊より)
(竹田泰次郎談)
〝恐らくは明治二十二、三年頃かと思います。(中略)
歌麿の再版というもの、今日の模造版画をこさえて見ました。昔の事ですが徳川時代の絵草紙屋が、い
わゆる破産をして、そうして例の板(はんぎ)--古板(ふるいた)をですな、古板が随分と売りに出る。
また古板というのは面白いもので、昔の絵草紙屋同士が今日の紙型の板市(いたいち)みたいなもの--
今日の出版屋の紙型市みたいなもので古板を売買交換する板市というものがあったそうです。錦絵の墨
板、色板と申しまして、これが歌麿だとかこれが広重で十五番揃いだとか、それぞれ古板の市がありま
したそうです。その板市という名称はずっと昔、それこそ天保からもっと以前、恐らくは文化・文政以
前からあったろうと思います。その板市が明治になっても引き続いてありました。日本橋の池の尾とい
う席でよくあったそうです。古板売買というのは絵本及び今の錦桧ですね、その錦絵の古板を叔父(注1)
が買いまして、歌麿の色刷の--本を読んでいる娘が行燈(あんどん)の側にいる図--「本読み」とい
いました。それと「針めど」という絵、おふくろさんがいぼじり巻きして針の目を通しているというよ
うなのと古板を二枚,板市か何かで買ったんでしょう。あるいは古本の市で買ったんでしょうか。それ
を見本刷りに摺って、そうして今のベンケイ(注2)さんの所へ持って行って見せた。「これいくらで
すか」「これいくらでもある、これならいくらでもある,これ一枚五銭宛(ッパ)です」で、これが五銭
宛(パ)の始まりだったそうです。モウその頃は歌麿がだんだん値があがって一円宛(ツパ)になっていた
そうです。「こういうのならいくらでも捜す。これはいくらでもある」というので、なるだけ煤(すす)
を塗って汚くして持って行った。それが今日の模造版画の始まりです〟
〈ここにいう「模造版画」とは板市で入手した板木を使って増し摺りしたもの。明治12年刊『商業取組評』に、地本問屋
番付があって、錦絵の部に「行事・年寄・勧進元」として、大黒屋平吉や蔦屋吉藏以下、藤岡屋慶次郎・泉屋市兵衛・
山口屋藤兵衛などの江戸以来の老舗問屋の名が挙がっているから、この時代あたりまでは古板の売買市が開かれてい
たように思う〉
(注1)語り手竹田泰次郎の叔父、元禄堂吉田金兵衛。明治中期の浮世絵商の草分けの一人とされる
(注2)明治十二、三年頃から歌麿を中心とする古版画を収集していたドイツ人貿易商ブリンクリー。渾名がベンケイ