Top             浮世絵文献資料館            浮世絵師総覧               ☆ うきえ 浮絵             浮世絵事典  ◯『俳諧時津風』覆(近世風俗研究会 1960年刊 原本 尾雨亭果然蒐 延享三年(1746)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝浮画 波ともに唐土ふねを八重霞 常国 (挿絵 七十翁画)〟    〈『俳諧時津風』は当時の流行名物を詠んだ句集。挿絵は透視遠近法ではない〉  ◯『増訂武江年表』1p151(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (延享年間・1744~1747)   〝延享二年の春、江戸の流行物を集めたる句集あり、「時津風」と題す。時々庵の門人反故斎果然といへ    る人の編也。其の内を撰びて目次のみを左にしるす。    浮絵(遠景の山水をうきゑといふ)(以下略)〟    ◯『続飛鳥川』〔大成Ⅱ〕⑩25(作者未詳・成立年未詳)   〝寛延、宝暦の頃、文化の頃まで売物、    元日に番附売、初狂言正月二日始る。番附代六文、    一枚絵草紙うり、うるし画、うき絵、金平本、赤本、糊入ずり鳥居清信筆、其外奥村石川〟  ◯『根南志具佐』三之巻(風来山人作・宝暦十三年(1753)刊)   (両国広小路の賑わいを描写したくだり)   〝浮絵を見るものは、壺中の仙を思ひ、硝子(びいどろ)細工にたかる群集は、夏の氷柱かと疑ふ〟    〈「壺中の仙」は壺の中の仙境(別世界)。覗き機関と通してみる浮絵の世界はまさしく「壺中の仙」、     そして硝子細工はまるで「夏の氷柱」のように清涼をもたらす〉  ◯『両国栞』(著者未詳・『洒落本大成』第五巻 明和八年(1771)刊)   (両国にのぞき目がねで浮絵を見せる出し物があり、以下はその口上)   〝此所はおくざしきさはぎのていでござります(中略「こよいの雨のさびしさに(云々)」の歌詞あり)    是より大山のけいだいでござります(中略、芝居小屋の呼び込みや冷水・蕨餅など物売りの掛け声あり)    次にお目にかけまするが当所両国の景色でござります 正面な則両国はし 長カさは凡九十六間 むか    ふに見へまするはゑかういん 橋のこなたは広かうじ 見せもの茶みせのてい 右は本所一ッ目 元柳    橋大橋三ッまた永代を限りてみへます 又ッた左は北本所駒止(とめ)橋 しいの木三囲リうしのごぜん     角田川の土手を見晴し 空には都鳥が飛かふありさま てまへのかたは柳橋御くらまへおむまやかしの    渡し 少しさがりまして川中へさし出ましたは しゆびの松 夫よりこまかた堂竹町花川戸 浅草くわ    んぜおんには五重の塔 まつち山今戸橋ニは山谷船がのりこみ まつ先キ角田川の渡しまでかすかに見    へ渡ります 扨是よりは夜分の景色 夕すゞみのていにござります よしのゑびす丸其外あまたのやか    た舟には 太鼓三味せん上るりこはいろ舟ゆさんてい 茶屋/\のあんどうちやうちん一度に火を点じ    まして 空には月星があらわれます 玉やかぎやは左右に立別れまして りうせい玉火ほしくだり等の    花火をあげまする細工と手ぎわに お目を留められ御覧ン下されませう(以下略)〟    覗き機関の口上(本HP「浮世絵事典」【の】「覗き機関」)    ◯『俳諧名物鑑』反故斎果然編 明和八年(1771)序(『俳諧時津風』の改題増補本)   (国書データベース)   (延享三年(1746)刊『俳諧時津風』に続いて記載されているもの)   〝浮画 波ともに唐土ふねを八重霞 常国(挿絵 七十翁画)〟    〈延享三年(1746)刊『俳諧時津風』と全く同じ。歌川豊春などの登場もあってか、明和の今なお人気は保ったままだっ     たようだ〉  ◯『絵そらごと』〔燕石〕⑥257(石野広通著・寛政九年(1797)頃成立)   〝うき絵といふ物江戸に見へたるは、享保の末よりの事にて、七十年にはたらぬもの也、其頃は、是はう    きはせずして、むかふへくぼみて見ゆれば、くぼみ絵といふべし、といへる人も侍りき、ことの外に繁    昌して、何もかもうきゑ書て、今にあれば、今晩もうき画のうちよりも出て、こゝのかけ絵にはなけれ    ど、高師直、ゑん谷が家来の夜討ちなどよくある物也 これは見るもいまはしく 高家のれき/\ 陪    臣の手にかゝりて見ぐるしき事ども 武士などの見るべき物にはあらぬを 上るり芝居などにてするを    おもしろがるはいかなる心にや 何程俗絵にてもこれはやめにしてもらひたいものと うき絵なか間の    いやがるも尤也〟    〈国文学研究資料館の〔目録DB〕によると『絵そらごと』は寛政九年(1797)頃成立〉   ◯『反故籠』〔続燕石〕②269(万象亭(森島中良)著、文化初年(1804)成立)  (「江戸絵」の項)   〝浮画は豊国が師歌川豊春が書たる者を妙とせり〟    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③292(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年(1833)成立)   〝奥村政信【享保ノ頃】(中略)    俗に浮絵を云て、名所、其の外牧狩の図、曽我十番切等、遠景を奥深くみゆる図を書、板行にせしなり、    其比は大に流行す、紅絵の始めなり〟    ◯『嬉遊笑覧』(喜多村筠庭信節著・文政十三年(1830)自序)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇巻三「書画」上 192/302コマ   〝『池北偶談』に「画楼台宮張図壁上 従十歩外視之 重門洞開層級可数潭々如王宮第宅迫 視之但縦横    数十百画如棊」浮絵(ウキエ)なり〟〈『池北偶談』王士禎 (1691年)序〉  ◯『嵩鶴画談』巻之五(清筠舎著・天保五年(1834)成稿・『日本画談大観』「中編随筆」所収)   ◇「浮画」p1001   〝浮画は和蘭の画法を省略せし画事にて、普く世上に行れしは奧村文角政信其始かと思はる、文角は塩町本    屋奧村源六なり、寛保三年元祖瀬川菊之丞道成寺舞台の図の浮絵あり、浮画の根元としるしあり、いづれ    元文寛保の頃さかりに行はれし物と見ゆ、続談(ママ)海中に元文四年の冊に落書を写せしあり     元文太平記巻第四目録、一足利尾張守閉門戸事 附市谷落之事 一両火消屋敷出火之事      一中山何某姉うかれ女之事 一象殺人事 一藤懸何某不首尾之事 一異国船着浦々より告急事     一浮絵出板流行之事    かくの如くあれば浮絵は専ら此ころ行はれたることと見ゆ〟     ◇「浮絵師」p1002   〝俳優家生島新五郎善画事【鳥居家門人にや未不考】    此頃板行の一枚絵を見るに正徳享保のころの役者の似せ絵なり、筆意清倍なるべしと思ふに名をのせず、    其内一枚に道外形西国兵五良と外に女方と二人を画き、新五良硯筆に向ひて画きいるところなり、上の方    に【口浮絵師生島新五良】とかけ札をかきてあり、是により見る時は新五良絵の事に工なると見へたり、    新五良はすはまと針貫のひよくになしたる紋を付たり、正徳年間の役者附に山村座の処に新五良この紋を    つけたり、兵五良は栢の葉の折違一に針貫の紋なり、一人の女形は栢の葉の折違へに巴の紋、元禄年間印    本の四場居色競をもて按ずるに、兵五良とは竹中庄太夫なるべしか〟    ◯『江戸風俗総まくり』(著者・成立年未詳)〔『江戸叢書』巻の八 p28〕   (「絵双紙と作者」)   〝浮絵と名づけ名所風景霊場を書て遠近を色どり、是を眼鏡に見る時は、家居堂塔はそのまゝ建るが如く、    山水は波たゝむが如く、山々高低其侭也、近き頃是は油絵の蘭画より出て油絵ならぬ藍をもつて藍に偽    し諸侯の門辺なんど、又は山水を画く事流行せり、天保度広重といふて、東海道の駅路を面白う書出し    て世にもてはやさるゝも又一風也〟    〈この藍はヘロリンと呼ばれたものである〉  ◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)   1 公輪子が巧みもかくや浮絵書き   「菊丈評万句合」延享中【雑】   2 浮絵のやうに高輪の雨       「規矩の信折」 安永8【雑】   3 向うざしき・うきゑのやうに開放す 「伊勢冠附」  文化中【雑】     注「遠近法を用いた風景画」     〈3は開け放った向こう座敷の光景が目に浮かぶ。が1・2は句意不明〉   4 一ッ家中へちをまくるをうき絵にし「拾遺5-27」寛政8-9【川柳】注「吉良討ち入り」     〈「へちをまくる」は慌てふためくの意味。この頃の忠臣蔵十一段目の浮絵としては、可候(後の北斎)のものが      知られている。ただ柳多留拾遺の句は寛政八、九年のものとされ、北斎が可候を名乗るのは寛政十年とされる      ので、この句の浮絵が可候のものかどうかは微妙である。岩波文庫本『柳多留拾遺(上)』5-27の同句には「川      柳明八義6」とあり、明和八年の句とされる〉  ◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(上103/110コマ)   〝浮絵は、何時誰が画き初めたかといふに、石野遠江守広道朝臣著の『絵そらごと』に「浮絵といふもの    江戸に見えたるは、享保の末よりのことにて、七十年には足らぬものなり、其頃はこれは浮きはせずし    て、向ふへ見ゆればくぼみ絵といふべしといへる人も侍りき、殊の外に繁昌して、何もかも浮絵かきて    今にあれば云々」とあり、又「新吉原二階座敷土手見通し大浮絵」と題する一枚大版物や堺町の町木戸    から片側には中村座、片側には人形芝居辰松座の櫓を見せ、両側の茶屋、香具店の前には男女の往来せ    るさまを描いたのもあるさうだから、浮世絵師では奥村政信が始めであらう〟    〈国文学研究資料館の〔目録DB〕によると『絵そらごと』は寛政九年(1797)頃成立〉