Top 浮世絵文献資料館浮世絵師総覧 ☆ うごうかい 烏合会浮世絵事典 ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・中央公論美術出版・昭和三十六年(1961)刊) 〔底本 中公文庫『こしかたの記』中央公論社・昭和五十二年(1977)刊〕 ◇「烏合会」p207 〝 明治の二十年代に、山の手に住んで役所づとめをする青年の書画を好む一団が、月次の研究会を開い ていた。そこへ未来の挿絵画家を志す、これはまた揃って下町育ちの少年が参加したものが何年か継続 し、一旦中絶したのを、三十四年一月、そのうちの気の合ったものの間に再興の話が持ちあがった。廻 覧誌を拵えたり、作品を持ち寄って批評したり、相互に採点し合う内輪だけの仕組だったのを、いっそ 公開に踏み切ろうではないかとの相談が成り立った。前には紫紅会と云ったが、それは他に差しさわり もあって、烏合会の名は兄貴分の山中古洞が撰んだのであった。集まるもの、古洞の他に、福永耕美 (後に公美)、都筑真琴、高田鶴僊、田中桃園(後に素水)、鏑木清方、三井古渓、須藤宗方、竹田敬 方、大野静方、池田輝方、鰭崎英朋、河合英忠、阿出川真水の十四名を数える。なお他に二名の参加者 もあったが、実際の行動に加わらずに終った。創立者の中でも、田中素水は病歿し、三井古渓は地方赴 任のため、須藤宗方は一身上の都合でその後に列を去った〟〈古洞-月岡芳年門。耕美-尾形月耕門。清方・宗方・敬方・静方・輝方-水野年方門。鶴仙・古渓-小堀鞆音門。応 東-松本楓湖門。英忠・英朋-右田年英門。阿出川真水-柴田是真門。田中素水、都筑真琴の師は未詳。年方と年英 は芳年門であるから、烏合会の主なメンバーは芳年の門流と見ることができる〉 ◇「烏合会」p208 第1回 明治34年6月6日~8日 日本橋、八重洲館 第2回 明治34年9月20日~22日 日本橋、常盤木倶楽部 課題「東京十五区」:清方画「八幡鐘─深川」・英朋画「お七─本郷」 第3回 明治35年4月3日~5日 日本橋、常盤木倶楽部 古洞画「二日物語」(露伴作)・清方画「金色夜叉」(紅葉作)・輝方画「桜狩」 課題「江戸文学」:英朋画「梅ごよみの米八」・英忠画「浮世風呂」・耕美画「膝栗毛」 輝方画「曲三味線」・鶴僊画「弓張月」・宗方画「女房気質」 清方画「田舎源氏の黄昏」 第4回 明治35年7月3日~5日 日本橋、常盤木倶楽部 輝方画「浜田弥兵衛」・静方画「馬嵬坡」 第5回 明治35年10月1日~5日 日本橋、常盤木倶楽部 清方画「一葉女史の墓」 課題「平家物語」:鶴僊画「女院落飾」・古洞画「燈籠大臣」・静方「先帝入水」 英朋画「小宰相最期」・清方画「横笛」 第6回 明治36年3月5日~8日 日本橋、常盤木倶楽部 課題「花」:輝方画「墨染」「暮靄」 第7回 明治36年6月 日本橋、常盤木倶楽部 輝方画「北京籠城」・応東画「間諜」 課題「日本昔話」:英朋画「舌切雀」 第8回 明治36年11月6日~8日 日本橋、常盤木倶楽部 〝十一月に開いた第八回には課題の記憶もなく、文献にも接しないが、この年に村岡応東、吉 川霊華、榊原蕉園の三人を会員に数え、三者の作の陳列を見た〟 第9回 明治37年5月5日~8日 日本橋、常盤木倶楽部 英忠画「軍神の霊」「ひれふる山」・英朋画「大石橋」「生別」・静方画「軍人の児女」 古洞画「遠征を思ふ」・応東画「新羅攻」「真如親王」・清方「烏拉(ウラル)の別れ」 第10回 明治37年11月3日~7日 日本橋、常盤木倶楽部 古洞画「最後の閉塞隊」「曾根崎心中」・清方画「瑞夢」「深沙大王」「佃島の秋」 英朋画「鑓の権三」・静方画「新口村」・長野草風画「牡丹花肖柏」 第11回 明治38年5月3日~7日 日本橋、常盤木倶楽部 輝方画「蔭日向」・古洞画「おまん源五兵衛」・清方画「寄宿舎の窓」 第12回 明治38年10月15日~17日 日本橋、常盤木倶楽部 輝方画「世界の勇者」・清方画「教誨」・英朋画「焼あと」 第13回 明治39年4月11日~15日 日本橋、常盤木倶楽部 清方画「断崖」 第14回 明治39年10月19日~22日 日本橋、常盤木倶楽部 清方画「日高川」「古駅」 課題「神話伝説」 第15回 明治40年5月4日~7日 日本橋、常盤木倶楽部 課題「太陽」 第16回 明治40年7月25日~28日 日本橋、常盤木倶楽部 課題「怪異」:静方画「死霊」 第17回 明治41年3月19日~22日 日本橋、常盤木倶楽部 故大蘇芳年(十七回忌)特別展 課題「江戸時代風俗」 第18回 明治41年10月14日~17日 日本橋、常盤木倶楽部 課題「本邦歴史風俗」:清方画「あけびとり」 第19回 明治42年5月27日~30 日 日本橋、常盤木倶楽部 英朋画「大葉子」 課題「時代研究」:清方画「抱一上人」(三幅対) 第20回 明治43年5月20日~22日 日本橋、常盤木倶楽部 清方画「誓」 課題 記入なし 第21回 明治43年10月27日~30日 日本橋、常盤木倶楽部 課題「伝記小説」 第22回 明治44年6月30日~7月2日 日本橋、常盤木倶楽部 課題「歴史と文学に現れたる女」 第23回 明治45年5月 芝、増沢氏経営の陳列館 ◇「烏合会」p223 〝 四十四年六月の二十二回が、常盤木倶楽部での最後の会であったが、実質的には、会の使命はこれで 畢(オワ)ったと見るべきであろう。 この会の後、なお継続を望む声もあって、翌四十五年五月に、芝の大門(ダイモン)近くにある増沢氏の 経営する陳列館で二十三回目に当る展観が催されたが、六月五日に、先月浜町から移ったばかりの、本 郷竜岡町の私の宅に同人が集合して協議の末、烏合会は解散しないが、展覧会は止そうと云う申合せが 成立した。最終時の会員は、古洞、公美、鶴僊、真琴、敬方、静方、英忠、英朋、応東、耕花、清方の 十一名であった〟 ◯『日本美術年鑑』第1巻 日本美術年鑑編纂部 画報社 明治四十四年刊(国立国会図書館デジタルコレクション) 168/233コマ 〝烏合会 事務所 日本橋区浜町二丁目十六番地 鏑木方 本会は其始め紫紅会の名の下に十五名の会員により組織せられ、数年間月次研究会を開き来りしものに して、明治三十四年六月に至り、烏合会と改称し、日本橋区上槙町八重洲館に於て展覧会を公開せり。 本会は他の各種の団体と執る所を異にし、現在十名の会員が同一の趣味より成れる作品を陳列するもの にして、会場は毎に日本橋区常盤木倶楽部を用ふ、会員各自江戸時代の文学を好むもの多く、期せずし て特色を発揮し、以て世の認むるところとなれり。 会員 大野静方 鏑木清方 河合英忠 高田鶴仙 都筑真琴 村岡応東 谷中古洞 山村耕花 福永耕美 鰭崎英朋〟