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☆ つうしょう いちば 市場 通笑浮世絵事典
 ◯『街談文々集要』p268(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)   (文化九年(1812)「通笑魂遠行」)   〝文化九壬申八月廿七日、稗史戯作者通笑終ル。    法名 覚法全心、浅草祝言寺ニ葬ス、行年七十四才     市場氏、名寧一、字子彦、橘雫は其俳号なり、小平次と称す、東都の産にして、通油町に居住す、一     生無妻にして、市中の仙聖たり、好で稗史を作れり、安永年中より寛政年間迄、若干の巻を著述す、     其趣意、専ら教諭を以て旨とす、故に世の人、教訓の通笑ト云々。    墨川亭雪麿大人云、通笑岡附(ママ)塩町ニ住し、表具屋某ト云たるよし、友人著作堂が話なり、名道寧、    字子彦ト云、著述の大旨、世の人の常ニする所の穴を探して、書ニ妙也トいへり。    通笑ハ安永八己亥、奥村源六板にて、其数々酒の癖・かけなし正直咄・大通人穴さがし・かごめ/\籠    中の鳥・桃太郎元服姿・日照雨狐の嫁入・虚言弥次郎、此七番を初舞台として、年々戯作ヲ出し、享和    二壬戌迄、凡廿四ヶ年の間、数百部あり、また勝川春章役者素顔画本の序文を書、俳優すがほの正写し    故、外題を夏の富士(ママ)ものせしとの序文あし、【其後文政年中、歌川国貞、役者素顔出板の節、山東    京山序文、通笑の夏の富士の外題を其まゝ用ひたり】     (天明二年の黄表紙評判記『岡目八目』所収、通笑作『御代参丑詣』に対する記述の写しあり、略)〟