◯『浮世絵』第四号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)九月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「浮世絵と国々」酉水(8/24コマ)
〝(清長や歌麿)の筆になれる吉原仁和歌(にわか)図、太夫行列とか一枚ものとか三枚続とか 絵本で有
名な歌麿の青楼年中行事、政演の青楼自筆鏡、美人合とか云ふやうに吉原美人を画題として描いたもの
は幾百種あるか挙げて数へ切れない程沢山ある、当時新版物が出ると 絵双紙問屋は廓に縁のある商人
例へば引手茶屋、料理店、楼主とか すべて派出(はで)商売の家に「配り」と称して必ず之を広告的に
配つた、しかも其れは皆初摺(はつずり)ものであつた、廓の内には蔦屋と云ふ引手茶屋がある、此店で
は清長や歌麿に其頃全盛の太夫の阿嬌(あだ)つぽい艶々した容姿絵を上等念入に描かせて売出したもの
である、此の店の印は蔦印で 太夫の衣紋に自家の紋所を入れてある、絵双紙屋仲間呼んで この店を
細見蔦屋と云つて名高いものであつた、今でも大門から右側一町計りの所に 暖簾に黒地で白抜きの大
きい蔦の紋を見せ両側に「つたや」と書いてある店がそれである 浮世絵と廓はかやうに密接な関係が
あつたので 浮世絵は此処に明治の流行時代まで可なり多く存在して居たのである〟
〈地本問屋(板元)は吉原の遊女絵が出来上がるやそれを吉原の茶屋・料理店や遊女屋に広告用として配ったようである。
また引手茶屋の方でも例えば蔦屋などは、当時全盛の遊女を清長や歌麿に画かせ、それを錦絵に仕立てることによっ
て、売り出し用としたらしい。ここには共存共栄のような関係があって、吉原は錦絵を遊女の宣伝用として利用する、
一方地本問屋はその遊女の評判次第で錦絵の売れゆきが期待できる。政演は北尾政演で戯作名は山東京伝〉