◯『宴遊日記』(柳沢信鴻記・安永三年(1774)日記)
〝二月七日、(浅草寺)山門の左側に鶴市いふ乞食、三芝居身振をするもの今日より出るゆへ葭簀のうち
人群集〟
〝十月二十四日、(葺屋町)鶴市・鶴松へ寄、歌右衛門身〈身振り〉【鶴松】、三升〈市川団十郎〉・錦考
〈松本幸四郎〉・杜若〈岩井半四郎〉声色【鶴市】、丸や・東国やたて身【鶴市】
〈鶴松は身振り、鶴市は声色と身振り〉
◯『宴遊日記』(柳沢信鴻記・安永七年(1778)日記)
〝十一月六日 山下山王下鶴市園へ入、一幕見る、錦考・杜若・此友声色、身振、子別保名ニ仲車、葛葉
ニ里虹、道満ニ天幸、庄司ニ一孝、桟敷ニテ見物〟
◯『只今御笑草』〔続燕石〕③200(二代目瀬川如皐著・文化九年序)
〝松川鶴市
琵琶の湖七度まで葦原となりしはしらず。三股の中洲埋立て〔割註「蜀山云、六年程也」〕しばらくの
ほど納凉の地たしころ、びいどろ細工京之助が軽業さま/\なる中に、身ぶりもの真似真を写して、歌
舞伎の舞台そのまゝなりし。さかゑやの秀鶴、丸屋の十町闇仕合の大当り、古今稀なりしも此ごろと覚
ゆ。(補)蜀山按、此もの後に足をあらひて素人となり。出家して蓮乗と号し、四谷内藤新宿の末成子
村常円寺七面堂の堂守となれり〟
◯『蛛の糸巻』〔燕石〕②278(山東京山著・弘化三年(1845)序)
〝(天明年間の中洲の賑わい)夜みせの見せ物も多かりし中に、鶴市といひし非人、歌舞技(ママ)どもの、
身ぶり、こわいろをなすに妙を得て、しかも美男にてありしゆゑ、婦女子にすかれ、濫行もありしとぞ、
さて其構(カマヘ)をなしたるさまは、今のみせ物芝居にかはらざれど、木戸銭は一人まへ百銅なり、是に
て鶴市が芸の妙をしるべし、此頃、市川八百藏とて、婦人にはことさらひいきにあひし立ものに、此鶴
市常もよく似たるゆゑ、顔をつくり、衣裳を飾り、其こはいろをつかへば、八百藏こゝに在るが如し、
是鶴市がはやりし所以なり、なす所の芸はすべて相手をとらず、物ぐるひ、ものがたり、扇の手など、
其外さま/\の事を、八百蔵、団十郎、仲蔵、団蔵、菊之丞、里好【女形】又は中やくしやまでも、そ
のこわいろはさらなり、顔つき、身ぶり、それかあらぬかと、目をぬぐふばかり、奇々妙々なり、はじ
めは常なみの非人手づま一ツ二ツなし、さて鶴市いでゝ一芸をなし、是をひとまくとして打出す【一ま
く一人まへ、百銅】〟