◯『浮世絵』第一号 (酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「遠月堂の似顔画辻占」扇松堂著(17/21コマ)
〝(弘化~明治初年迄、浅草見附外・遠月堂の辻占せんべい)これへ似顔辻占(彩色七遍摺)を折つて挟み
込んであります、画は亀戸豊国で、後には芳幾が画きました(中略)なにしろ、豊国が御贔屓の役者を
画いたと云ふ所からして、当時の花柳界は勿論、町家の娘達、さては奥女中等に非常に歓迎されて、銀
釵(ぎんかん)の足で一寸(ちよつと)つまみ出して、オヤ八代目、と懐中鏡の間へ丁寧に蔵(しま)ふもの
があるかと思ふと、アラ冠十郎(ぐそくや)とは、にくいノーと、無慙に引破(ひきさば)いて捨てるなぞ、
当時の状態がこの一枚にあり/\と分るようです。
〈「銀釵」とは銀の釵(かんざし)。「アラ冠十郎」は敵役・老役の嵐冠十郎(屋号・具足屋)〉
(安政中頃~明治初年迄、大伝馬町・梅花亭森田の辻占せんべい)
煎餅の形は分りませんが、中へ入れた辻占は、遠月堂版の縦長に対して、これを横長にして、左右二
つ枠にし、左へ芳幾の似顔、右へ其俳優の俳句を、一寸した俳画をあしらつて、梅素玄魚が書きました
が、あんまり器用すぎて、豊国のぼつてりとした味はひには、遠く及びませんでした。
(文久頃~明治初年迄、八丁堀・清真堂の辻占せんべい)
辻占画は矢張(やつぱり)芳幾(中略)春亭京鶴(清真堂の別号)の報條(ちらし)に「秀句を時の辻占に、
買い手は朝からくる/\と巻納めたる煎餅のふうじめ見する役者の似顔」なぞと書いてある
以上三軒の似顔画辻占の時代は、遠月堂が弘化あたりから梅花亭と清真堂が安政か若しくは文久頃か
ら、何れも明治初年頃に至つて中絶をしたのです。
(明治十八年、久松座が千歳屋と改称した時、座の裏通り・翠月堂の「新狂言錦絵入り辻占せんべい」)
この似顔を描いたのは、今現存して居らるゝ梅堂国政翁です、しかし此翠月堂も千歳座焼失後、麻布
辺へ引移つて、煎餅形屋(かたや)になつたと云ふ事で、こゝに至つて江戸名物の似顔辻占煎餅も、其跡
を絶つた訳です〟
〈色摺の役者似顔絵を占い紙にして入れた煎餅。幕末から明治にかけて、遠月堂・梅花亭・清真堂らの煎餅に、三代豊
国(初代国貞)や芳幾らが画き続けてきたが、それが明治初年には中絶してしまった。明治18年(1885)、千歳座の裏通
りにあった翠月堂が梅堂国政を起用して再興したものの、明治23年千歳座が焼失するや途絶えてしまったとのこと〉