Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ つがいえ 番ひ絵浮世絵事典
 ☆ 宝永七年(1710)     ◯『野白内証鏡(ヤハクナイショウカガミ)』江島其碩作・宝永七年(1710)   (巻三・六)   〝是が今はやるひとり笑ひといふて、すかして見れば、おかしい絵のある扇子と、つがひ絵のとりくみ、    心地よき所の見へすく扇子を取り出して(云々)〟    〈「ひとり笑ひ」「つがひ絵」とも春画〉     ☆ 宝暦三年(1753)     ◯『古今色角力』西川祐尹画・宝暦三年頃(国文学研究資料館「艶本資料データベース」)   〝口上(前略)毎年/\新板の番絵(つがひゑ)御覧に奉入候処、殊の外御機嫌に入(後略)〟     ☆ 宝暦七年(1757)     ◯『近世江都著聞集』〔燕石〕⑤52(馬場文耕著・宝暦七年九月序)   〝此一蝶が百人女臈の絵共を本として、其後洛陽西川祐信といへる浮世絵師、好色本枕絵の達人といはれ    しが、或年百人女臈品定といふ大内の隠し事を画き、其後夫婦契ヶ岡といふ枕絵をいふ枕絵を板木にし    て、雲の上人の姿をつがひ絵に図し、やんごとなき方々の枕席、密通の体を模様して、清涼殿の妻隠れ、    梨壺のかくし妻、萩の戸ぼそのわかれ路、夜のおとゞの妻むかへと、いろ/\の玉簾の中の、隠し事を    画きしに因て、終に公庁に達して、厳しき御咎にて、板を削られ絶板しけるとかや、是世人の多く知る    所也。其後好色本禁ぜられ、売買を止給ひしを、今ひそかに商ふ事とは成しぞかし、この西川も一蝶が    跡をまなんで此の如く成よし、云伝へけるとなん〟    〈「つがひ絵」とは春画の異称である〉     ☆ 寛政七年(1795)       ◯『江戸町触集成』第十巻(近世史料研究会編・塙書房・1998年刊)   (寛政七年(1795)九月晦日付)   〝先達而取調候絵双紙問屋之内、番ひ(ツカヒ)絵板木共今日取集、当人為立合、絵并双紙分水腐致、板木    分削落相渡候、先相済候得共、右ハ度々被仰渡も有之、猶以厳敷相咎候も可在之儀ニ候間、急度相心得、    此上右躰之絵類聊ニも仕出し取扱等致間敷候、且又婦人絵之内、尾籠之躰を画候絵柄も在之、是迚も    追々致増長候ハ御咎可在御座義ニ付、已来右躰之絵柄仕出取扱申間敷候、此分先達改置候分、今日    反古ニいたし銘々相渡候事〟    〈「番ひ絵」とは枕絵(春画)のこと。絵と双紙は水に漬けて処分、そしてその板木は削り落しになった。また「婦人     絵之内尾籠之躰を画候絵柄」の方は反故処分、つまり売り物にならないようにされた。ところで「尾籠之躰を画候絵     柄」とは猥褻な絵柄という意味だろうが、枕絵でないとすればどのような美人画を指すのでのであろうか。いずれも     今後取り扱わないように警告したのだが、寛政十二年八月の触書をみると、「男女たわむれ居候体之一枚絵見世売等     ニ致、如何ニ付差留候所今以同様之品売出、不埒之至ニ候」というくだりもあるから、依然として出回っていたので     ある。さて、錦絵の売値についても通達があり、一枚の二十文以上の錦絵は在庫限り、今後は一枚十六文から十八文     までの直段設定とし、それ以上は無用だとしたのである〉