☆ 弘化三年(1846)<六月>
筆禍「唐船(徐福浮海ノ図)」三枚続 絵師不明
処分内容 ◎板元 細田屋千之助 残品没収、板木削除
処分理由 浮説流布
◯『大日本近世史料』「市中取締類集 十九」(書物錦絵之部 第七六件 p15)
(弘化三年六月、町年寄・館市右衛門の「唐船」三枚続に関する町奉行所宛上申書)
〝此節売買仕候唐船三枚継絵之儀相調申上候書付 館市右衛門
此節売買いたし候唐船三枚継絵、名主改印も有之風評如何ニ付、早々取調可申上旨申上旨被仰渡、右絵
三枚御下ヶ被成候、
一 依之、絵双紙掛り名主共え申渡、右絵摺立并売先相知候分取調候処、売捌人ハ宇田川町文次郎店絵
双紙屋(丸屋)清次郎より申者ニ有之、同人相糺候処、凡三千枚程摺立候内、九百枚余ハ売散ニ相候
恐入候旨申之、残弐千四拾四枚差出し、此内【弐千拾七枚 墨摺/弐拾七枚 彩色摺】
一 右は、絵草紙掛り之内小石川白山前町(衣笠)房次郎改小印ニ付、心得方相尋候処、右唐船絵之儀
は、四ヶ年以前卯年(天保十四年)十月、同人月番之節、通四町目絵双紙屋細田千之助と申者より、
彩色八遍入改ニ差出候処、故事認候錦絵ニ付改印いたし遣候旨申立、其後板木譲引仕候由は、当人共
相対之儀ニ有之候段、房次郎申之候、
一 右ニ付、宇田川町清次郎再応呼出し、右絵板元印【細千】と有之、然処此節清次郎売捌候段、板元
粉敷旨察斗仕候処、全く右絵開板之儀は、先ン持主細田屋千之助、去ル卯年掛り名主改済彫刻仕候処、
去巳年(弘化二年)十二月、同人絵双紙渡世相止候節、右板木清次郎方え買取候旨、則別紙受取書差
出し申候、右品此節売先宜、何心付も無之多分墨摺ニ仕売捌候段相答候間、左候ハゝ、板木ハ去十二
月買取候共、板元印も不相直差置、畢竟時之雑説を見込、俄ニ摺出し候儀ニ可有之、心底ニおゐてハ
新刻いたし候も同様、且元来彩色摺錦絵ニ候処、多分墨摺売買いたし、元改方ニも相触レ、彼是不束
之段察斗仕候処、重々奉恐入偏御憐愍之御沙汰奉願候旨、清次郎并家主文次郎差添申立之候、
右相調候処、書面之通御座候、掛り名主房次郎改印之儀は、四ヶ年以前卯年、開板主千之助より差出、
故事認候錦絵ニ付、無子細改印いたし遣候旨申之、同人不調法之儀は相聞付申候、此節売捌人宇田川町
清次郎儀、新規板刻候品ニは無之、兼て買取候板木ニは無相違相聞候得共、絵柄時之雑説ニ紛敷を見込、
俄摺出し売買仕候心底不宜奉存候、乍去、今般新規板刻仕候品ニ無之ニ付、此上御吟味之儀ハ御宥恕被
成下、右差出候摺立絵・板木共御取上ヶ申渡、時之雑説見込売捌候ハ、新刻いたし候ニ等敷不束ニ付、
以後日数百日之間、清次郎儀絵類・絵双紙共新規開板物不相成段申付候ハゝ恐縮仕、自然同渡世之もの
えも相響キ、惣躰之取締方可相成哉と奉存候、依之、御下ヶ被成候絵三枚返上仕、差出候板木拾八枚・
摺立絵弐千四拾五枚相添、此段申上候、以上、
但、糺ニ付差出候先板元千之助板木売渡請取書壱通、奉入御覧候、
午(弘化三年)六月 館市右衛門〟
(北町奉行所・市中取締掛与力の評議)
〝書面主房次郎改印之儀は、四ヶ年以前卯年開板主千之助より差出改印いたし候上ハ。房次郎ニおゐて不
調法之筋無之、清次郎儀兼て買取候板木ニ候共、絵柄時之雑説ニ紛敷を見込俄ニ売出、且板木元印も不
相直、元来彩色摺錦絵ニ候処、墨摺売買いたし候段、元改方ニも相振、彼是不束之始末も有之候得共、
徐福浮海之図ニて、雑説等無之砌ニ候得ば子細も無之、畢竟心底ニ拘り候筋ニ付、市右衛門申上候通、
別段御吟味之御沙汰不及、差出候摺立絵・板木共御取上ケ申渡、且日数を限新規開板のもの不相成段申
付候義は、御咎之筋ニ相当候間、其儀ニは不及旨被仰渡、其外此度之儀ハ。房次郎不調法之筋は無之候
得共、時之雑説又は絵柄不分様相認、人々ニ為考買人を為競候様之類間々有之、右は絵草紙懸名主共ニ
て心附候得は、不取締之儀も無之筋ニ付、猶市右衛門より右名主共え沙汰及ひ置候様被仰渡、可然奉存
候
午 六月 北 市中取締掛〟
〈細田屋千之助の板木代金請取書〉
〝 覚
一 金壱両也 【唐船三枚続/色板共十八枚】
右は、我等所持板木、前書代金ニて慥売渡申候、以上、 細田千之助
巳(弘化二年)ノ十二月
丸屋清次郎殿〟
〈弘化三年六月、「唐船」三枚続(市中取締掛の評議文書では「徐福浮海之図」)に浮説が生じているので、町年寄・
館市右衛門は、その売り弘め所であった絵双紙屋の丸屋清次郎を召還した。その際、丸屋は摺りあがった3000枚のう
ちまだ売れていなかった2044枚(彩色27枚・墨摺2017枚)を提出した。改印を見ると、絵草紙改掛の名主・衣笠房次
郎の印があったので、衣笠に問い合わせてみると、これは四年前の天保十四年十月、絵草紙屋細田屋千之助から出版
許可申請があったもので、彩色八遍摺りで題材も故事に採っていたから、特に問題なしとして押印したとのことであ
った。その後、弘化二年十二月、細田屋は廃業するに当たって、その板木を丸屋へ金一両で譲渡した。そして弘化三
年になって、丸屋はこの絵柄が時の雑説に紛らわしいことに目を付けて、しかも板元印も直さず【細千】の印のまま
売り出した。館市右衛門はこれを問題とした。そこで、新規出版物ではないので吟味に回すには及ばないとしながら
も、提出の残部と板木は没収、百日間新規の開板禁止にしてはどうかと、町奉行に提案した。これを受けて南北の両
奉行所の市中取締掛が評議を行った。その評議の結果は館市右衛門の提案とは違っていた。すなわち、この「徐福浮
海之図(唐船)」は浮説等がない時節であれば差し支えない図柄であるから、吟味には及ばない、従って、新規開板
の禁止というのも、お咎めなら当然だか、本件はお咎めに当たらないのだから適当ではないとして、結局、品物や板
木の没収に留めるということになった。ところでこの「徐福浮海之図(唐船)」にどのような浮説が生じたのか、興
味深いところだが、憚ってか、これらの文書には具体的な記述がない。なお、この三枚続の版元印が【細千】である
ことは分かるが、その画題、画工名については分かりかねている。2014/01/15追記〉
◯『大日本近世史料』「市中取締類集 二十一」(書物錦絵之部 第二六七件 p135)
(七月十九日付、町年寄・館市右衛門より絵草紙屋及び絵双紙掛り名主に申渡した達し書)
〝一 唐船三枚継絵 墨摺弐千拾七枚/彩色摺弐拾七枚
一 同板木拾八枚
右は時之雑説ニ紛敷を見込俄ニ売出、板元印も不相直、且、元来彩色摺錦絵ニ候処、多分墨摺売買致
し、元改方ニも相振彼是不束ニ付、右摺立絵・板木共御取上申渡之、
右、北御奉行所御差図以申渡之
午七月
右之通被仰渡、奉畏候、以上、
弘化三午年七月十九日 宇田川町文治郎店 絵双紙屋(丸屋)清次郎
煩ニ付代 庄次郎
家主 文次郎
絵草紙懸 銀座町名主(村田)佐兵衛
口達 絵双紙懸 名主
絵類之内、時之雑説又は絵柄不分様相認、人々ニ為考、買人を為競候様之類、間々有之、右は懸名主共
心附候得は、不取締之儀は無之訳ニ付、下絵改方等弥入念、弁別紛敷分は此方え可申聞候
右、北御奉行所御沙汰以申達〟
〈六月、時の雑説を見込んで出版された「唐船」三枚続、版権の移動があったにも拘わらず、板元印を直さないなどけ
しからぬとして、板木・商品の没収ということになった。また町奉行は、町年寄経由で絵双紙掛の名主たちに、一層
入念なる改(アラタメ=検閲)を求めるとともに、紛らわしきものについては町年寄に伺を立てるよう命じたのである〉