◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)
〝三歩金東江流の扇なり〟「柳樽49」文化7【続雑】注「沢田東江の書風」
〈吉原扇屋の墨河、同抱え遊女花扇も門人〉
◯『退閑雑記』〔続大成〕⑥75(松平定信・寛政八年(1796)記)
〝東江源麟、二王の書学ぶとはいへど、筆意いかゞあらんとうとみおぼへけるが、文字しる人ひとり来り
て、かの源麟にうちむかひて、死蛇などいふ事は、筆道のきらふ事なるは、やはかしり給はざるべき、
君がかくところは、そのきろふ所にあへり。日頃うたがひ思ひたれば、いふなりといひけり。源麟こと
によろこほびて、君ならでたれかかくはいふべき。予もその事を恥思へども、いまは東江流とやらいひ
て、世上もはらもてあそびて、生産にも成りぬればせんかたもなし。されど後の世に伝へんもほいなけ
れば、わ好むところをかい置たりとて、みづから一つの巻とり出したり。ひらき見れば、ことにやうか
はりて不凡の筆意なり。ことにいひし人感じければ、この巻予が家に秘しをかんもせんなし、君ならで
まいらすべきものはなしとて、その人におくりぬといふなり。予もその巻をみしが、いかにも世にいふ
東江流などゝは、ことやうかはりてかぐはし。あしきをしりても、生産のためとてあらため得ざるは、
心おとりするものから、此巻などたゞちにそしりたる人にあたへしなどは、潔しともいふべきか〟
◯『甲子夜話4』巻之六十一 p242(松浦静山著・文政八年(1825)記)
〝〈書家・三井親和没後〉夫より東江源鱗〔初め東郊平鱗と云。沢田文次郎と称す〕と云(イフ)書家出(イヅ)
是も予〈松浦静山〉懇意せし者なるが、晋唐の書法を学て一家を成す。この門人最多く、後は吉原町の
名妓花扇と云しもこの書法を以て鳴り、又境町の俳優瀬川菊之丞と云しも亦同じ。是等より東江の名益
々高く、東江織、東江染など専ら世に流行せるが、是も今は絶て〈以下、略〉〟
◯『近世花押譜』(三村竹清著「集古」所収 大正9年~昭和18年)
(出典『三村竹清集一』日本書誌学大系23-(1)・青裳堂・昭和57年刊)
〝東江源鱗
東江は号 源鱗は姓名 書は初独立派 後晋唐 これが知足東堂へ移る 学問も初は朱子 後漢魏 こ
れが豊州女護寺へ伝はる 所謂柳橋の美少年 北里に御弟子が多いかと思へば 金峨の火事見舞に米俵
を両手へ提げて出たと云 然も蜀山人に目白の潺々亭へ呼ばれ 酔漢に臆して逃げ出した 寛政八年六
月十五日没 年六十五 浅草の本願寺に葬る 墓は近年改建せりと聞く 此花押は東江の合字なり〟