☆ 文政八年(1825)
◯『道聴塗説』「第一編」中215(大郷信斎著・文政八年(1825)記)
〝藤八五文丸
藤八五文丸追日流行、種々の器物、模様等に之をやつし用ふ。此程築地浜町を過れば、吉原、深川の通
船を始、遊妓の三絃多くは之を歌ふ。一時の流行かくのごとく甚し。抑藤八五文丸の由来を尋るに、鎮
西肥前国長崎平戸町綿野藤八と申者、古く此薬を製し、第一腎精を増し、脾胃を調へ、気を開き、食を
開き、食を勧め、其外効能かぞへがたしといふ。朝鮮弘慶子といへども、此盛なるにはしかずと申あへ
り〟
◯『藤岡屋日記 第一巻』p349(藤岡屋由蔵記・文政八年)
〝此節(正月)専ら流行致し候藤八五文からんとうと云薬売出るなり、形菅笠に蛇の目の紋付しをかむり、
木綿羽織、同むねかけ、脚半にて歩行也、但し壱丁程行、くるりと廻り、からんとうと云、扇を開く也。
扇・胸懸・はおり共、蛇の目、柳ごりを背負、又藤八五文の薬は、藤八五もん奇妙と云て歩行也〟
◯『増訂武江年表』2p755(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(文政八年・1825)
〝四月始めより、藤八五文奇妙と呼びて癪の薬を售(アキナ)ふもの街を歩行(深き菅笠をかぶり胸当を掛け
る)〟
◯『続飛鳥川』〔新燕石〕①1p42(著者不明)
〝文政八年夏より、藤八五文奇妙といふて江戸中を売歩行、三度笠をかぶり、小き風呂敷づゝみを背負ひ
脚半をはき、旅人のごとし、諸病によしといふ。たしかならず。中村座にて、松本幸四郎、此役を勤る
程流行せり〟