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☆ とりおい 鳥追 (女太夫参照)浮世絵事典
 ◯『娯息斎詩文集』闇雲先生(狂詩・狂文集) 当筒房 明和七(1770)年刊   (新日本古典藉総合データベース画像)   ◇元日 鳥追い   〝江戸の元日    丸一太鼓暁天を動かし        御慶(ぎよけい)共に祝す門松の辺(ほと)り    双六簺(さい)に任せ道中早く     鳥追い春を告げて編笠連なる    万歳総て鰊鯑(かづのこ)の酒に酔ふ  児童遣い尽くす巾着の銭    礼者は杯を辞して又春永(はるなが)  今朝(こんちやう)正月神田より来たる〟  ◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之七「雑業」   (喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)   ◇「宿の者、非人、乞丐、穢多等の事」①347   〝鳥追    今は京坂これなく、江戸に多くこれあり。女太夫と云ふ者これをなす。(中略)    毎歳正月元日より大略中旬に至るの間、女太夫新服を着し、編笠をかむり、また常の歌および浄瑠璃と    異なる節を唄ひ、三味線を特に繁絃して来る。当町の非人小屋より来る者一人に十二銭紙包を与へ、他    は一銭を与ふ。中旬以後は菅笠に換ふるなり。編笠の時を鳥追と云ふ〟       ◇「宿の者、非人、乞丐、穢多等の事」①340   〝女太夫    (車善七部下の江戸小屋)の妻娘は女太夫と号(なず)け、菅笠をかむり、綿服・綿帯なれども新らしき    を着し、襟袖口には縮緬等を用ひ、紅粉を粧ひ、日和下駄をはき、いとなまめきたる風姿にて、一人あ    るひは二、三人連れて、三絃をひき、市店門戸に拠りて銭を乞ふを業とす。往々この女太夫に美人あり。    市店には一文を与ふのみ。他国より勤番の下士等は、邸窓の下に呼び、二、三十銭を与へ一曲を語らせ、    あるひは花見遊山の所多く女太夫徘徊する時、かの士酒興に乗じ杯を与へ、烟管(きせる)をともに吸ふ    等言語に絶せり。    (女太夫の図。詞書きあり)     平日菅笠。正月十五日前、編笠を着す。衣服・帯ともに表裡木綿なり。襦半・襟・袖口・腰帯等は、     絹縮緬をも用ゆ。手甲は縞木綿を用ふ〟  ◯『絵本風俗往来』上編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(13/98コマ)   〝正月之部 鳥追(とりおひ)    鳥追は例年正月二日早朝より来る、衣類に絹物を用ゆることを禁ぜられ、都(すべ)て木綿にて見立て、    新調するに、一目絹縮緬と見ゆるものを揃へること妙といふべく、且つ帯の〆様(しめやう)より襟元の    様子、如何に着こなすや、細腰にして柳間の新月其のやさしさ、かむりし編笠の内ぞゆかしく、三味線    二上りの調べ「海上はるかに見渡せば七福神の宝船」と歌ひしは、いとも賑(にぎ)はひてゆたかなる御    代の新年、春の心ぞ知られける〟    ☆ とりおい 鳥追(女太夫)  △『実見画録』(長谷川渓石画・文 明治四十五年序 底本『江戸東京実見画録』岩波文庫本 2014年刊)   〝鳥追は、毎年正月には、小屋者と唱ふる非人の妻子が、一種の唄に、三味線と胡弓をあはせ、門に立て    銭を乞ふ者なり。袋を肩にせし男は、鳥追に附添、鳥追が銭の外、餅などを貰ひしとき、其餅を受ける    ため。鳥追の衣類には、絹物を許さず。而(し)かし木綿といへども、其拵(こしらえ)上手にて、姿にも    意を用ひ見るべきものあり。笠の紐錺りには、縮面(緬)を用ひたり〟    (以下、底本所収の花咲一男の「鳥追」注解)   「 江戸市中の鳥追い女と云うのは、非人小屋の婦女、俗に女太夫とよばれる者が、正月の元旦から十五    日までの間、老・若二人連れで、新しい木綿の衣類に編笠をかぶり、三味線に合わせて、普通の歌とも、    浄瑠璃とも似つかぬ節で、歌をうたって、門乞いして歩いた者を云う。中旬以降になると、編笠が菅笠    に替わる。この編笠の時期の女を、鳥追いと云った。     祝儀は普通十二文であつたが、非人小屋には、心中未遂の女子などの、人別帳から削られて身を置い    ていた者がおり、鳥追いの期間中の女は、勤番者の居た武家長屋などでは、過分の祝儀にありついたと    云う     これらの女太夫たちへの禁制はきびしく、絹物・白元結・簪・笄などは許可になっていない。又天保    改革以後は、下駄(日和下駄)をはく事も禁ぜられて、草履ばきであったというが、はじめの文にもある    ように、笠の紐飾りのような、禁制の及んでいない箇所には、ちりめん等を使って扮装をこらしたもの    という。     鳥追歌というのは、特殊な唱歌で、ごく昔(江戸時代以前)、ある土地の長者のもとで、田や畑の害鳥    を追い払って生活していた者の、鳥を追い払う歌である。長文なので引用しないが、その年の新春の寿    として、御殿様のために、千年も万年も、田畑の害鳥を追い払います、と云った意味の歌である」