◯『増訂武江年表』2p29(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(享和年間・1801~1803)
〝蔭絵の戯、昔は黒き紙を切抜き、竹串を四ッに割りて矢羽の如くさし、行燈に写して玉藻の前の姿を九
・尾の狐に替(カワ)らし、酒顛童子を鬼にかはらするの類にてありしが、享和中都楽といふ者、エキマン鏡
といへる目鏡を種とし、ビイドロへ彩色の絵をかき、自在に働かするの工夫をなし、写し絵として見す
る。是れより以来此の伎行はれて、次第に巧みになり、其の門葉も多くなれり(此の都楽、今年嘉永元
年七十九歳、存生して瀬戸物町に住せり)〟〈都楽は「とらく」か「つらく」か未詳〉
○『墓所栞』(山口豊山編 成立年未詳)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝うつし画 都屋都楽 嘉永五年十二月廿七日 浅草法恩寺中光照寺〟
◯『東京掃苔録』(藤波和子著・昭和十五年(1840)四月序 八木書店 昭和48年版)
〝浅草区 光照寺(北清島五一)真宗大谷派
都屋都楽(影絵師)本名高橋熊吉。上絵職。三笑亭可楽の門弟、鳴物に合せて種々なる影絵を工夫して
評判をとれり。嘉永五年十二月廿七日没 年七十三〟