☆ 弘化元年(1844)
◯『増訂武江年表』2p103(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(弘化元年・1844)
〝春より夏に至り、両国橋西広小路に大なる仮屋を構へ、こま廻し(下谷の住)こまに手妻(テヅマ)の曲と
ゼンマイからくりを交へて見せ物とす。見物山の如し(これに続いて浅草に住める奥山伝次といへるこ
ま廻し、竹沢の趣向を習ひこまに手妻を交へ、道具建にからくりをなして、浅草寺奥山にて見せものと
しけるがさして行はれず。其の後人形師竹田縫殿介、同所にてもみけし人形の見せ物を出したり)。
筠庭云ふ、小屋壊れて怪我ありしは、三人兄弟とて物まね上手にて、其の頃流行(ハヤリ)しなり。又前
後は覚えず、此の頃竹沢のこま未だ出ぬ時、其処に囲ひもせで、軽業をしたる虎吉とかいへる童は、
小さき台共つみ重ねたる高き上にのぼり、下には抜き身の刃を立てたり。上にふせたる小樽のひらき
て壊れて落ち、刃に貫かれて死したり
曲ごま、二月中旬より八月まで、両国にて行はれ、夫より九月は芝神明に出づ。
其の後は仕掛したる種々のこまを、細工人浅草御蔵前にて大路にて売物とす〟