☆ 嘉永四年(1851)
◯『藤岡屋日記 第四巻』p492(藤岡屋由蔵・嘉永四年(1851)記)
◇虎の見世物
〝十月九日より 於西両国広小路、虎の見世物興行仕候 見料三十二文、番付十六文
正面の看板【二間四方計の大看板に墨絵の虎を画、竹三本】
左右之立看板、右は豊歳国の産(賛カ)。左りは虎斑の毛物、天幕には竹に虎、提灯を十一つるし、幟
豊歳国の産、虎ふの毛物二本立、木戸番は竹の大形の模様半天揃也。
口上
一 虎の形形体惣身一面金毛色有、頭に八将軍の八字を頂き、全体は八方無敵黒毛の八字を負ひ、画虎
に等猛獣也。
一 是は対州の深山にて生どりし山猫の由、彼国にても珍敷ものなるよし、至て猛き獣なり、鳥の生餌
計喰し候よし。
山猫かともあれ猛き獣をどこの山でかよくとらゑたり〟
☆ 文久元年(1861)
◯『増訂武江年表』2p(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(文久元年・1861)
〝秋の頃、異国より渡りし虎一匹、同十四日より麹町十三丁目裏続き福聚院境内にて見せ物とす。大さ五
尺余あり(前の豹にくらぶれば甚だ巨大なり。見物来る毎に帷をかかげて見するなり。其の後橋場にお
ゐて見せけるなり〟