◯『藤岡屋日記 第一巻』①142(藤岡屋由蔵・文化十年(1813)記)
〝湯島天神富流行二付、
富之五大力
いくらで札のつく迄も、なま中買ひのもの思ひ、たとひ高くて弐歩でるとても、運と突日の出目をまつ、
アヽなんとせふ、たがひに心うかれ来て、若めハかわぬ五百だい、さわさりながらかへぬ事なき大さわ
ぎ、やがてかをぞへあたろぞへ、そして花でもとろかしく〟
◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝富興行
とみの札けさは買ばや夕(べ)見し夢をしるしの杉の森にて
富をつく目は群集してさながらにきりを立べき所だになし
富は屋をふるほすものと唐国のふみを学びし人もかふなり(注 富は屋を潤し徳は身を潤す『大学』)
山吹のいろもてかふる富の札花にも実にもならぬをかしさ
雷のこととろ/\と人よりて何処へ落るかとみの興行
富かひに人は木の葉の降ることく実もなきものにうれる餅花
山吹の花の出ばんのぬしは誰とへどこたへぬとみのにぎはひ
〈杉の森(神社) 群集〉
◯『わすれのこり』〔続燕石〕②126(四壁菴茂蔦著・安政元年?)
〝富興行
谷中感応寺、浅草観世音、杉の盛稲荷、銀町壱丁目白籏稲荷、麹町平川天神、芝神明、茅場町薬師堂、
本所回向院、霊岸島にもあり、
越前様御国には、興行札料五匁、一の富二百両、突留百番三百両、五十番目千両
其ころ、第付とて、一の富の出番によりて、博奕の様になること流行す、禁ぜられしが、内々にてす
る者あり、出番を売りに来る者、今日のおはなし、といひてうり来る〟
◯「古翁雑話」中村一之(かづゆき) 安政四年記(『江戸文化』第四巻三号 昭和五年(1930)三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「富興行」(24/34コマ)
〝本所一ッ目の弁天に天明の末頃まで諸検校が富突興行ありし 与力同心出役せし事なりしか 何の故に
や止ぬ 湯島天神 目黒不動 谷中感応寺の富は其むかしより絶ず年古く有しものなり〟