◯「読売新聞」(明治25年12月19日記事)〈(かな)は原文の振り仮名〉
〝歌川派の十元祖
此程歌川派の画工が三代目豊国の建碑に付て集会せし折、同派の画工中、世に元祖と称せらるゝものを
数(かぞへ)て、碑の裏に彫まんとし、いろ/\取調べて左の十人を得たり。尤も此十人ハ強ち発明者と
いふにハあらねど、其人の世に於て盛大となりたれバ斯くハ定めしなりと云ふ
凧絵の元祖 歌川国次 猪口絵元祖 歌川国得 刺子半纏同 同 国麿
はめ絵同 同 国清 びら絵同 同 国幸 輸出扇面絵同 同 国久・国孝
新聞挿絵同 同 芳幾 かはり絵同 同 芳ふじ さがし絵同 同 国益
道具絵同 同 国利
以上十人の内、芳幾・国利を除くの外、何れも故人をなりたるが中にも、国久・国孝両人が合同して絵
がける扇面絵の如きハ扇一面に人物五十乃至五百を列ねしものにして、頻りに欧米人の賞賛を受け、今
尚其遺物の花鳥絵行はるゝも、前者に比すれバ其出来雲泥の相違なりとて、海外の商売する者ハ太(い
た)く夫(か)の両人を尊び居れる由〟