◯『塵塚談』〔燕石〕①272(小川顕道著・文化十一年(1814)成立)
〝中秋十五日を月見と号し翫ぶ事(中略)
安永、天明の頃は甚敷、貴富は人を大勢集め招き、ほしゐまゝに宴飲するを飾とせり、願ひ望みある人
は権貴の家へ月見に付込、台の物を拵、食物は、台といふ言訳に少し計にして、金銀を費し、端物、キ
セル、たばこ入、翫具の類を積かさね、月見台と称し贈る事也、天明八年申の頃より、此事少薄ろぎし
様なり〟
◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝月
老となる月にうかれてつかのまにわたり越したる親爺橋かな(注1)
ちり雲は手はやく風にはらはせて空に露まつ月のさやけさ
更科やさやけきもちの月の夜にいもの親さへすてられにけり
論語よむ窓の月見に夜ふけけりあすは宰予が昼寝するとも
露おもみ袖かたしきて花すゝき寝ころびながら月やみるらん
くもりなきこよひの月のよみ歌にこゝろのそこをみするさやけさ
こと足らぬ賤が伏屋もこよひてる月にかけめはみえぬさやけさ
小烏も月の氷の上に寝て親に孝なる名はたちにけん
客をまつ月のこよひの縁座敷空にも雲のちりやはきけん(注2)
秋も猶舟はさかりに出ぬらん月のかつらの花川戸川岸
源氏まどいざひらかばやむらさきの式部小路のもちの夜の月(注3)
老となる月をめでつゝ酒くみてふける事をもしらぬ秋の夜
秋こよひ雲ひとつなかりけりこはくとめづる月のさやけさ
酒をくみこよひの月のみさかなにこれまいらせん池のねぬなは〟(注4)
〈親爺橋(日本橋) 花川戸河岸(浅草) 式部小路(日本橋)〉
(注1「老(おい)月」=陰暦14日以降の月 注2「縁座敷」=客間 注3「源氏まど」=「火灯窓」 注4「ねぬなは」=「蓴菜(じゅんさ
い)」)
◯『絵本風俗往来』中編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(47/133コマ)
〝八月 十五夜観月
十五夜の観月は明夜の陰晴はかられざるより、十四日の夜月見の宴を開き、詩歌連俳を催すあり、扨又
(さてまた)市中おしなべて団子を製して月に供ふ、柿・栗・葡萄・枝豆・里芋の衣(きぬ)かづきを、三
宝盆にうず高く盛りあげたり、団子は大きさ径(わたり)三寸五分位より小さきは二寸余とす、此の団子
は尾花・女郎花等を添へたり、当日前より家内打ち揃ひて製するを吉祥としたり、月に供ふる団子の外
に小団子を製し、一人に付き数十五箇づゝに柿・栗等を添へて配分するより、家中多人数ある家にては
いと沢山に製したり、されば手伝ふ人々多きまゝ台所は随分の喧◎(さわぎ)なりしも、是れ相かわらざ
る家例とて目出たかりける大江戸の繁昌、又今日は江府に尤も多く祭られけ八幡宮の祭礼にて、遠くは
神楽太鼓の音相響き、近くは幟の見ゆる所彼所(かしこ)此所(ここ)にありて賑はし〟