Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ちょうちんえ 提灯絵浮世絵事典
 ☆ 寛政十一年(1799)  ◯『天明記聞寛政記聞』〔未刊随筆〕②293(著者未詳・天明元年~寛政十一年までの記事)   (「三囲稲荷開帳」寛政十一年四月一日参詣記事)   〝(前略)提灯十、絵絹にてはり、色々之浮世絵をかく、北斎之筆にて、其巧ミに見殊なる譬ふべき物な    し、台ハ皆黒びろうどにて縫ぐるみ、金物は金糸にて縫出せり、此外に提灯壱対、北斎之筆にて、極綵    色之画なり。其他色々様々の提ちん、思ひ/\の行燈数不知駿河町三井店よりとして米弐百俵、又諸方    より奉納之青銅五十貫ツヽ、積立し処、三十箇所程もあり、白狐弐疋、丈三尺余、毛ハ白絹糸にて植、    眼ハ是も水晶なり、此壱対手際といへ恰好といへ誠に霊狐之姿備はり尊く、身ノ毛も動く計リ也、狂哥    或ハ徘諧連中之額数々有リ、ふちハ多分雲形又ハ唐草、金之高ぼり、口画色々有ル内、婦人之驚きしに    蚊帳を釣りし体至ておかしく、また見殊なり、此分都て北斎の画、(以下略)〟    ☆ 文政年間(1818~1829)    ◯『増訂武江年表』2p79(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (文政年間・1818~1829)   〝白き盆提灯切子燈籠廃れ、彩色の草花を画ける提灯行はる(筠庭云ふ、岐阜提灯も他色を用ゐず、ぬる    のみにて画をかけるを好めり)〟  ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   ◇「堤等琳」の項 ③319   〝堤等琳 号深川斎、江戸ノ産也、叙法橋    二代目等琳の門人なり、雪舟十三世の画裔と称す、一家の画風、骨法を自立して、雪舟流の町画工を興    せしは、元祖等琳を以て祖とす、安永、天明の比より、此画風市中に行れて、幟画、祭礼の絵灯籠は、    此画風をよしとす、当時の等琳は、画風、筆力勝れて、妙手なり、摺物・団扇・交張の板刻あり、仍て    此に列す、筆の達者、尋常の板刻画師と時を同して論じがたし、浅草寺に韓信の額あり秋月と云し比、    三代目等琳に改名せし時の筆なり、今猶存す、雪舟の画法には不似異りといへども、彩色、骨法、一派    の筆力を以て、三代ともに名高し、画く所の筆意、墨色の濃淡、絶妙比類なき画法なり、末、京、大坂    に此画風を学ぶものなし、門人あまたあり、絵馬屋職人、幟画職人、提灯屋職人、総て画を用る職分の    者、皆此門人となりて画法を学ぶ者多し、門人深遠幽微の画法を得てせず、筆の達者を見せんとして、    師の筆意の妙処を失ふ者多く、其流儀を乱せり、世に此画法をのみ、町絵と賤めて、職画と云は嘆かは    しき事なり、雪山は貝細工等種々の奇巧を造りて見物させし事有、【大坂下り中川五兵衛、籠細工ノ後    ナリ】諸堂社の彩色も、多く此人の請負にて出来せし所有、【堀ノ内妙法寺、ドブ店祖師堂、玉姫稲荷、    其他多ク見ユ】近世の一豪傑なり〟    〈江戸市中の寺社には絵馬が、また祭礼・開帳等の野外行事には幟絵・燈籠絵・提灯絵などが付きものであったが、堤     流はそれらの作画を専ら担っていたようである〉  ◯『絵本風俗往来』上編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(62/98コマ)   〝六月 盆提灯売り    大中小の髭骨提灯は瓜形・丸形・枕形・瓢箪形の異種ありて、大は二尺余、中は尺八・尺五・尺三、小    は尺以下なり、又子供の翫(もてあそ)びの小形・瓜丸の二種にして、画(ゑ)は紅彩色且つ藍画にて、人    物・山水・花鳥・草花をゑがく、又白張に井桁に立花を図し、髭題目を書きしは法華宗向の品にして、    散りし蓮華を画くは諸宗向きなるべし、町方にては、江戸市中裏長屋の其の日を送る生計(くらし)の家    にても必ずともす、此の提灯を売る商人、六月末より七月朔日迄、諸方に幾人となく売り歩く「ちゃう    ちんやァ、盆ぢゃうちん、ちゃうちんやちゃうちん」と呼び来たる、又問屋ありて店一杯に、うつくし    き画提灯をつるして商ふ〟