☆ 文政六年(1823)
◯「新製役者似顔錦手猪口」画師 歌川国貞筆
(人情本『全盛葉南志』巻末広告)(国書データベース)
〝土器(かはらけ)は時代めき盃もまたかたしと 三味線箱と諸ともにかならず出る猪口(ちよく)の流行
今文政の製たるや 嘉靖万暦も物数ならぬ平戸今利を取よせて東錦の似顔絵を其ままに焼せなば 御口
にあはんと計(もくろみ)て 彼の国貞へかけ附け三盃 なか/\拙画を御道具には思ひもよらずとひら
断り じぎをするのは上戸の癖 是非に/\と無理強(むりじひ)におさへて 五枚三枚が絵冊子絵本の
版下の間(あひ)の又間付(数字不明)さなかにやう/\と 此度焼あげ候間 こゝへも十枚二十枚いく
つも重ねて御用のあと ひいきの役者の御注文被仰付候様 偏に奉希上候 已上
永寿堂にかはりて 柳亭種彦述
製所 絵草紙問屋 永寿堂 西村屋与八〟
〈平戸焼・伊万里焼の陶器に国貞が役者の似顔を絵づけした猪口。文政6年刊『全盛葉南志』の巻末にある広告だが。
見返には青林堂寿梓とあり、広告主の永寿堂とは異なっている。この猪口が文政6年新発売かどうかは断定できない
が、文面から文政の製品であることは確かである〉
◯「東錦焼陶酒盃(あづまにしきやきさけのみちよく)」
売弘処 馬喰町二丁目 永寿堂 西村屋与八
前北斎為一先生画 江戸名所真写 その外山水の細画等数品
歌川国貞先生画 芝居役者似顔 舞台顔 素顔等数品
右両先生の真筆の陶品は私方より外ニ御座なく候〟
◯「読売新聞」(明治25年12月19日記事)〈原文は漢字に振り仮名付、()はその一部分〉
〝歌川派の十元祖
此程歌川派の画工が三代目豊国の建碑に付て集会せし折、同派の画工中、世に元祖と称せらるゝものを
数(かぞへ)て、碑の裏に彫まんとし、いろ/\取調べて左の十人を得たり。尤も此十人ハ強ち発明者と
いふにハあらねど、其人の世に於て盛大となりたれバ斯くハ定めしなりと云ふ
凧絵の元祖 歌川国次 猪口絵元祖 歌川国得 刺子半纏同 同 国麿
はめ絵同 同 国清 びら絵同 同 国幸 輸出扇面絵同 同 国久・国孝
新聞挿絵同 同 芳幾 かはり絵同 同 芳ふじ さがし絵同 同 国益
道具絵同 同 国利
以上十人の内、芳幾・国利を除くの外、何れも故人をなりたるが中にも、国久・国孝両人が合同して絵
がける扇面絵の如きハ扇一面に人物五十乃至五百を列ねしものにして、頻りに欧米人の賞賛を受け、今
尚其遺物の花鳥絵行はるゝも、前者に比すれバ其出来雲泥の相違なりとて、海外の商売する者ハ太(い
た)く夫(か)の両人を尊び居れる由〟
◯『古画備考』写本 五十巻 巻三十一(朝岡興禎他編・記載年月不明)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(50巻〔30〕9/252コマ)
〝歌川派十元祖
猪口絵元祖 歌川国為〟
〈国得か国為かいずれが是か判然としない。全文は本HP「浮世絵師総覧 う」歌川派参照〉