◯『明治世相百話』(山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊
◇「チャリネ曲馬の渡来 菊五郎が当込みの珍浄瑠璃」p172
〝外人サーカスでまず眼を驚かしたのが、伊太利(イタリー)チャリネの曲馬団。明治十九年の夏、神田秋葉の
原で最初の興行。一行は、英、米、仏、伊各国の芸人五十余名、象、虎、獅子、大蛇を始め十余頭の馬
匹、猿犬の類ひととおり揃った動物園そっくり、自己所有の汽船へ飛び込んで世界中おし回るという大
がかり。
数千人を容るる大テントの中央、円形の演芸場、それを取り巻いて雛段(ヒナダン)の観客席、夜は石油の
大カンテラを無数に点じて昼を欺く。黒ん坊の楽師十余名の奏楽で実演。フロック姿のチャリネ氏は体
格偉大の男、堂々たる挨拶振り、演芸は少年二名の目まぐるしい器械体操式軽業(カルワザ)に始まり、妙
齢美人馬上の妙技、小形の馬車へ犬を乗せて大猿の馭者、一本足の大男が美人の肩に乗って危ない逆立
ちなど大愛矯。
呼び物は象の曲芸、ビヤ樽に乗って音楽に合せ前脚の鈴を鳴らし、ぐるぐる回って後脚でチンチンなど
ひやひやさせる。つづいて虎三頭の火焔抜け、毛並の揃った馬四頭がチャリネの揮(フル)う鞭によって緩
急の足取り、左右交互に入り乱れての駆足、最後に後足を揃えて立ち上り、全く調教の妙を示した。そ
のほか人気者の道化師ゴットフリーが滑稽の間に、種々独得の妙技はなかなかの腕前、見物腹を抱えな
がら真に感服。
つぎに築地の海軍原で興行、このとき暴風雨のためテント大破で大痛手、最後は浅草公園六区でこれも
大入り、満都の評判につれ、錦絵や曲馬双六など数種売り出す。そのほか例の際物好きの五代目菊五郎、
さっそく十一月の千歳座で大切りの浄瑠璃に仕込み、みずからチャリネ、一本足、象使い、虎使いの四
役に扮して珍妙な所作事、いかに名人でもいささか恐れをなしたが、この時の名題がいっそう珍妙、曰
く「鳴響茶利音曲馬」〟