☆ 安永五年(1776)
◯『半日閑話』〔南畝〕⑪398(大田南畝・安永五年六月記)
〝女力持
堺町楽屋新道に女の力持見世物出る【本は大根畑の倡妓なるよし】車に俵をのせてこれをさす。名を柳
川ともよといふ。紋所は巴の紋也【力婦伝と云書出る】〟
☆ 安永六年(1777)
◯『宴遊日記』(柳沢信鴻記・安永六年三月十九日記)
〝(浅草奥山)みせ物諸所に在、女力持友世・竹田繰(ママ)・軽業力持仙之助等の看板を出し、近日始る様
子〟
☆ 弘化四年(1846)
◯『藤岡屋日記 第三巻』p135(藤岡屋由蔵・弘化四年記)
〝三月十八日より六十日之間、日延十日、浅草観世音開帳、参詣群集致、所々より奉納もの等多し
(奉納物のリストあり、略)
奥山見世もの
一 力持、二ヶ処在、 一 ギヤマンの船 一 三国志 長谷川勘兵衛作
一 伊勢音頭 一 朝比奈 (以下略)〟
☆ 嘉永二年(1849)
◯『藤岡屋日記 第三巻』p(藤岡屋由蔵・嘉永二年記)
◇於竹大日如来開帳・見世物
〝三月廿五日より六十日之間、両国回向院に於て開帳
(中略)
回向院境内見せ物之分
操人形芝居、伊賀越道中双六・和田合戦
壱人分百八文、桟敷二百八文、高土間百七十二文、土間百五十六文
太夫(豊竹此母太夫はじめ六人の名あり、略)
人形(西川伊三郎はじめ九人の名あり、略)
三味線(鶴沢勇造はじめ四人の名あり、略)
但し人形大当り、大入也
伊勢両宮御迁宮之図 吹矢 女角力 犬の子見せ物大碇梅吉の力持見世物 榊山こまの曲〟
◯『わすれのこり』〔続燕石〕②122(四壁菴茂蔦著・安政元年?)
〝女力持ち
両国にて見せたり、馬を板にのせ、手足にてさし上げ、また立臼をさし、これに米を入れて人につかせ、
亦、五貫束を片手に持、百匁掛の蝋燭四五挺ともして、あふぎ消す、女には珍らしき怪力、巴板額も一
位を譲るべし〟
☆ 安政二年(1855)
◯『きゝのまに/\』続編〔未刊随筆〕⑥201(喜多村筠庭著・安政二年二月記)
(「八代目団十郎肖像」「生き人形」「力持ち」)
〝(二月)十七日より日数六十日の問、浅草寺観世音菩薩開帳、開帳につき奥山へ錦江斎作、亡人八代目
団十郎共外古人俳優肖像みせ物
異国人肖像、肥後国松本喜三郎作、生き人形と唱ふる見せ物
弥五郎といふ者の力持見せ判等、何れも流行、見物人多し〟
☆ 安政三年(1856)
◯『寐ものがたり』〔続大成〕⑪29(鼠渓著・安政三年)序)
〝鎌倉河岸、豊嶋屋ニ鬼熊と云男あり。大力にて百貫目の石をかつぐ。本所回向院にある熊遊と彫し石な
り〟
☆ 元治元年(1864)
◯『藤岡屋日記 第十一巻』p477(藤岡屋由蔵・元治元年記)
(四月、伝通院境内にて大黒天開帳、中間と元鳶との喧嘩記事の中に、当時興行していた見せ物記事あり)
〝足之曲持【名代/若太夫】【橘錦太郎/同文次郎】
力持 大力 大碇謙吉
(中略)
足之曲持 橘錦太郎 よしあしの曲はともあれ金太郎も釣方なれば腹をたちばな
力持 大碇謙吉 大力で船も留たる大碇外の喧嘩は留られもせず〟
☆ 年代未詳
◯『わすれのこり』〔続燕石〕②122(四壁菴茂蔦著・安政元年?)
〝女力持ち
両国にて見せたり、馬を板にのせ、手足にてさし上げ、また立臼をさし、これに米を入れて人につかせ、
亦、五貫束を片手に持、百匁掛の蝋燭四五挺ともして、あふぎ消す、女には珍らしき怪力、巴板額も一
位を譲るべし〟