Top 浮世絵文献資料館 浮世絵師総覧
☆ たつみや そうべい 辰巳屋 惣兵衛 浮世絵事典
◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)
〝辰巳屋もいわば日本の老萊子〟「柳樽75」文政5【続雑】注「小石川の神楽名人」
〈道化や狂言神楽で有名な小石川伝通院前の辰巳屋惣兵衛。中国でいえば、七〇歳にしてなお幼児の真似をし
て親を楽しませたという春秋時代の隠士・老萊子であろうと〉
☆ 文化元年(1804)
◯『藤岡屋日記 第一巻』①11(文化元年(1804)秋)
〝(文化元年)秋
小石川伝通院前辰巳屋惣兵衛事、六十九歳にて我が肖像を画せて、蜀山翁に賛を乞ひしに
お祭りと神楽の堂に辰巳屋の枯木娘や花さかせ爺
辰巳屋惣兵衛、伊東氏、若年の頃は平井辰五郎と云て、畳屋与兵衛が弟子也、生れ付質素を好み、又
強きをひしぎ弱を助るの気性也、(中略)
惣兵衛若年より狂言を好みて、山王・神田両御祭礼には御殿女中又は賤の女、或は台所唐人の学びな
どに出、道化所作頓知よくなしける、見る者笑わずといふ事なし、神事毎に此翁が出立を見ん事を思
ひける、両御祭礼に限らず、所々の小祭りにの出る也、天明の末の頃、狂言神楽といふ事を自らたく
み出し、面を種々作りて踊りをなす、祭り出しのはやしに合せ、狐・外道等の踊是也、諸侯方の屋敷
内稲荷祭りに召れ、いろ/\の道化并に狂言神楽をなし、金銭を給るといへどもいさゝかも受る事な
し、我遊戯にして利欲の為にせず、此狂言神楽といふは誠辰巳や翁が一流にして、時に年七十を越て
猶すこやかなりといふ。
一説に神田祭礼の節、湯島へ此辰巳屋出し事在り、翁のおいらんにて、伜と嫁を新造とし、孫二人
を禿に仕立て、是此翁が一生の大出来なりとの評判也〟
☆ 文政四年(1824)
◯『椎の実筆』〔百花苑〕⑪175(蜂屋茂橘編・文政四年(1821)十月二十四日)
〝辰巳屋の翁
辰巳屋翁肖像【その墓に、おの肖像を内彫にせり】
〈肖像画あり〉
〈墓側面にある戒名〉
快楽遊仙信士
仙室妙永信女
小石川伝通院前の茶屋辰巳屋【惣兵衛の翁】、文政四年辛巳十月廿四日、世をさりぬ。年八十八。翌
日、同所久保丁慈照院【禅宗】に葬る。法号快楽遊仙信士。その葬送の時のさま、真先ハ此頃流行せ
るかん/\の唐人踊也。それより唐人のねりもの数人、管絃にて、西道と書きたる幟二本、棺の前ニ
おしたて、棺の上にハうるはしき振袖の小袖を掛けつ、道をねりゆく。観るもの堵の如し。かくて寺
に至れバ、邪許(キヤリ)うたにて葬りしといふ。こハ翁がかねての願に也とぞ。実この翁ハ其むかしよ
り、年毎の祭りに、おかしきさまして踊出、その名高く世に知られて、此頃の人ハ、老女のことやう
にけさうせしをミては、辰巳屋のやうななりなどと、いひ候ひつる程にもてはやされし、江戸の名物
なりしに、いと惜しむべし〟
◯『江戸風俗総まくり』(著者未詳・弘化三年(1846)成稿)〔『江戸叢書』巻の八 p36〕
(「辰巳屋の神楽と彫物」)
〝中昔小石川伝通院門前茶漬店辰巳屋といへるあるじの、そのよはひ古稀に及びたるが、島田髷の女鬘
いたゞき振袖着て 其身踊りを学びしにもあらず、其術に馴れしといふにもあらで、平生其所の神楽
舞に社地に出て直女の舞をなす事にて、神田山王其外の祭りにも此姿にて練行に、辰巳や/\と人々
声かけて興じける、只その此(ママ)衆俗に評さるゝも実に奇事也〟
◯『続墓所一覧』写本(源氏楼若紫編 成立年未詳)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝奇人辰巳屋 文政四年十月廿四日 小石川 三間坂久保町 慈照院 快楽遊仙信士
小石川伝通院前茶店 惣兵衛〟
◯『東京掃苔録』(藤波和子著・昭和十五年(1840)四月序 八木書店 昭和48年版)
〝小石川区 慈照院(久堅町四十六)曹洞宗
辰巳屋惣兵衛(狂言神楽師)平井辰五郎と称し、伝通院前に茶漬飯の店を開き、壮年の頃は任侠をも
つて称せらる。狂言神楽を工夫し諸侯の稲荷祭等に招かる。墓には老人の娘姿にて振袖にて舞の形を
彫りたり。文政四年十月二十八日没。年八十九。快楽遊仙居士〟