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☆ たてばんこ 立版古 浮世絵事典
◯「立版古考」肥田晧三著(『浮世絵芸術』12 日本浮世絵協会 1966年刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(7/36コマ)
◇「立版古の名称」
〝(前略)立版古は古くは「切組灯籠」または「組上げ灯籠」といい、やや新しく単に「組上」といった
のが、その正式名称であるらしい。(中略)このうち「切組灯籠」の語は主として上方板の立版古の紙
面に多く見うける標記であり、「組上げ灯籠」「組上」の二語は江戸板(東京板)の紙面により多く見
る標記である。(中略)また別に「立版古」のことを「起し絵」という。(中略)子規の句「おこし絵
に灯をともしけり夕涼み」(明治廿九年)をあげてあるから、これによつて明治時代に「起し絵」の呼び
名のあったことが証拠づけられるわけである。(中略)現存の立版古の紙面に「起し絵」と標記したも
のは一枚も存しておらぬので、これまた正式の呼び名でなあくまで通称であったことが考えられる。
◇「立版古の起源」
〝近世初期以来(あるいはもっと古く遡り得るであろう)権門大社寺でおこなわれた灯籠飾りの行事が、
その後追々民間にひろまり、さらに江戸中期上方において遂に玩具化したのがそもそものはじまりであ
った。〈その例証として次ぎの二図を引く〉
『都歳時記』(延宝二年) 七月十五日の項 洛北岩倉村の灯籠踊り図 少女の頭上の灯籠飾り
『難波鑑』 (延宝八年) 七月十七日の東西両本願寺の灯籠飾り
両図に見える灯籠はその形態からみて疑いなく立版古の起原をなすものである(中略)
しからば右の灯籠飾りが玩具化して立版古となったのは江戸時代のいつ頃のことか
〈ここで斎藤月岑の『武江年表』寛政年間記事を引く〉
「児輩のもてあそぶ切組燈籠絵は上方くだりの物なり。それ故はじめは京の生洲(いけす)、大坂の天満
祭の図様を重板せり。寛政享和の頃蕙斎政美多く画き、また北斎も続いて画けり。文化にいたりて哥
川国長、豊久、此の技に工風をこらし数多く画き出せり。其梓今にありて年々摺出せり」
これによって立版古は江戸中期以後の玩具であり、はじめ上方に起りついで江戸に移入され、寛政年間
には江戸で大いに流行を見たものであることが判明する。〈追加資料〉
「戯童十二月」中判揃物 鳥居清長画 西村板
子供たちが組上った切組灯籠(立版古)を囲んで打興じている情景をそのままに写してある。本図は平
野千恵子女史の考証によって天明七年の作品と推定された。さすれば、天明年間にはすでに立版古が江
戸に移入されていたことが実証され『武江年表』の記述を捕足する貴重な資料といい得るわけである。
画者不詳の挿絵
「こま大からくり」板元・刊年不詳〈挿画に完成品の画像あり〉
◇「初期の立版古作品」
<この項で取り上げた作品>
葛飾北斎画
「京清水花見の図」「しんはんくミ上ケとふろうゑ 北斎画」大錦判二枚続〈口絵に画像あり〉
丸屋文右衛門板 文化八年~十三年製(「極」印と地本問屋行事「蔦十」印あり)
歌川豊久画
「かん/\おどり糸からくり組上 豊久」大錦判二枚続〈口絵に画像あり〉
丸屋文右衛門板 文政五年作画(画中の幟に「長崎唐人おどり ひゐき」とあり)
〈『武江年表』の記事「文政五年春より葺屋町河岸において唐人踊の見世物を出す、カンカン踊と云う、踊の末に大
なる蛇の作り物を遣う、世に行われて両国深川などへも出す(云々)」を引いて文政五年の作画とする〉
渓斎英泉画
「新版浮人形水遊」大錦判一枚 英泉画 川口板(刊年不記載)〈口絵に画像あり〉
画工不明
「大新板子ども遊唐人船組上げとうろふの図」安政元年刊(丹波恒夫著『横浜浮世絵』収録図より)
◇「大阪の立版古〈幕末-明治初期〉」
<この項で取り上げた作品>
※初代貞信は明治八年(1875)長男の初代小信に二代目貞信を譲り隠退
◎は下掲<大阪立版古の盛期(幕末から明治十五年頃迄)版元別製品リスト>に所収のもの
初代長谷川貞信画
「切組大灯籠 忠臣蔵十二段一目一覧」大判十四枚続 冨士政七板 明治四・五年前後の製作 ◎
傍書「長谷川老人信天翁貞信切組灯画一世一代の製画」〈挿画に画像あり〉
「仮名手本忠臣蔵七段目 一力茶屋の段」大判二枚続 石田和助板(刊年不記載)〈口絵に完成品の写真あり〉◎
二代長谷川貞信画
「源平一の谷合戦」大判三枚続 本為板〈口絵に完成品の写真あり〉◎
「川口電信機並神戸通蒸気船浪花入津」大判四枚続 (板元・刊年 不記載)
「川崎鋳造場」 大判五枚続 綿喜板 明治十年作(年代は樋口弘氏推定)◎
「大阪浪花橋大からくり」細判二枚続 石川和助板 明治十四年頃〈挿画に画像あり〉◎
「梅田ステーション」 細判一枚 (板元・刊年 不記載)
「四天王寺風景」 大判五枚続(板元・刊年 不記載)
「大阪鉄道寮」 細判一枚 (板元・刊年 不記載)
「安芸宮島一目一覧」大判九枚続 鈴木利兵衛板 明治十七年 一組拾三銭五厘〈大判1枚1銭5厘〉◎
「住吉風景一目一覧」大判八枚続 鈴木利兵衛板(刊年 不記載)〈挿画に画像あり〉◎
画者不詳
「折返し芝居 菅原伝授手習鑑・嫗山姥」鹿島堂板 嘉永四年九月大阪中芝居狂言
〈口絵に完成品の写真あり〉
<大阪立版古の盛期(幕末から明治十五年頃迄)版元別製品リスト>
※初代貞信は明治八年(1875)長男の初代小信に二代目貞信を譲り隠退
(大阪版)
△綿喜(前田金随堂綿屋喜兵衛)
初代貞信画(刊年 不記載)
「大新板切組灯籠 忠臣蔵二段目桃井の館」大判三枚続
「大新はん切組灯籠 太功記十段目」大判一枚
「大新板切組灯籠 曽我対面」 大判二枚続
「切組灯籠 太平記賤ヶ岳合戦」 大判五枚続
二代貞信画(刊年 不記載)
「大新板 川崎鋳造場 切組灯籠」 大判五枚続
△天喜(小西金花堂)
芳梅画(刊年 不記載)
「大新板組上とうろう いもせ山のだん」大判二枚続
芳梅画カ
「大新板さいく大しかけとうろう 四ッ谷怪だん夢の場」大判一枚
「大新板切組とうろう 牛若弁慶(五条橋)」 大判一枚
「大新板組上とうろう 日吉丸(長短槍試合)」大判一枚
△冨士政(嶋田金光堂冨士政七)
初代貞信画(刊年 不記載)
「大新板無類切組大灯籠 忠臣蔵十二段一目一覧」大判十四枚続
二代貞信画(刊年 不記載)
「極新板切組灯籠 芦屋道満大内鑑一目一覧」大判三枚続〈口絵に画像あり〉
「極しん板切組とうろう 舌切雀桃太郎大序より大切迄一目一覧」大判七枚続
「極しん板切組とうろう くるわぶんしょう(廓文章)」細判一枚
△本安(梅村安兵衛)
小信画(刊年 不記載)
「大しん板切くみとうろう 太功記十段目尼ヶ崎のだん」細判一枚
「志ん工夫かけゑ(錦影絵)」細判一枚
△本為(梅村為助)
二代貞信画(刊年 不記載)
「極しん板切くみとうろう 石川五右衛門山門のだん」大判三枚続
「大新板切組灯籠 源平一の谷合戦」大判三枚続〈挿画に画像あり〉
小信画(刊年 不記載)
「極しんはん切組とうろう 国せんや合せんししが城之段」細判一枚
「新板切くみとうろう 太功記十段目」細判一枚
△石和(石川和助)
初代貞信画(刊年 不記載)
「大新はん切組灯籠 仮名手本忠臣蔵七段目一力のだん」大判二枚続
小信画(刊年 不記載)
「極大新板切組とうろう 大阪浪花橋の図大からくり」細判二枚続
画者不詳(刊年 不記載)
「大新板 くずの葉信田の森の段」 細判一枚
「大しんはん切くみ灯籠 吉野山(川連館)」細判一枚
△鈴木(鈴木利兵衛)
二代貞信画(刊年 不記載)
「極新板切組灯籠 住吉一覧光景」 大判八枚続
「極しんばん切組とうろう 安芸宮島風景一目一覧」大判九枚続
小信画(刊年 不記載)
「極しん板切組とうろう 近江源氏八ツ目(盛綱陣屋)」 細判一枚
「極大しん板切組とうろう 大江山東寺羅生門の段(渡辺綱)」細判一枚
「極新板切組とうろう 足がら山(金太郎)」細判一枚
「極新板 甘ざけ 切組とうろう」細判一枚〈挿画に画像あり〉
△田中安(田中安次郎)
小信画(刊年 不記載)
「大新板切組とうろう 三代記三浦わかれの段(絹川村閑話)」細判一枚
「新板切組とうろう 一ノ谷陣家之段」 細判一枚
「極新板切組とうろう 菅わら車引のだん」細判一枚
△阿波文(阿波屋文蔵)
二代貞信画(刊年 不記載)
「切組灯籠画 西南征討の軍将え賜天盃図」大判三枚続〈挿画に画像あり〉
△八尾善
小信画(刊年 不記載)
「新板切組灯籠 千本桜御てん・忠臣蔵四段目切・竜宮玉とり・金門五三桐・太功記十だん目・じらい
也」細判一枚の小紙面
△堀佐
小信画(刊年 不記載)
「大新板切くみとうろう 菅原車引・国姓爺・曽我対面」細判一枚・三ッ割
△三上
二代貞信画(刊年 不記載)
「切組灯籠 国姓爺合戦甘輝館之段」大判三枚続
「新ぱん流行の人力車組上」 細判一枚〈口絵に画像あり〉
△尽市
芳権画
「大新板 大江山 切組とうろう(鬼退治)」細判一枚
(京都版)
△吉勘
画者不詳
「大新板切組御神輿図」細判一枚
△墨小
画者不詳
「くみあげとうろう 本朝二十四孝(勘助住家)」細判一枚
△万栄
画者不詳
「大新板 伊賀越道中双六伝受場 組上ケとうろう」細判一枚
「大新板 野崎村ノ段 切組とうろう」 細判一枚
「大新板 ふたつ蝶々米や場のだん 組立絵」細判一枚
「大しんはん 一の谷組打 切くみとうろう」細判一枚
「極大新板切組之灯籠画 六歌仙図」細判一枚
(板元不詳)
小信画
「切組灯籠鎌倉三代記」細判(板元・刊年不記載)〈挿画に画像と完成品の画像〉
「切組とふろう 浮世風呂の図」細判(板元・刊年不記載)〈口絵に画像、挿画に完成品画像あり〉
〝細判の立版古は京・大阪独自の板式で、東京には無い形なのではなかろうか。(中略)この時期の大阪
の立版古作者として他に年信、年梅、芳光、芳権、二代小信等があるが作品の数は多くない〟
◇「日清戦争前後」(明治二十七・八年(1894・5)頃)
<東京式立版古の特徴とその始まり>
三代歌川国貞画
「め組のけんくわ 組上とうろう」三枚続 片田長治郎板 明治廿三年五月刊〈挿画に画像あり〉
(芝居の登場人物に俳優名を明記、画中に完成図を明示。この二形式が東京式立版古の特徴)
歌川国政(三代国貞)画
「奥州安達合戦組上」三枚続 児玉又七板 明治十八年〈東京式立版古の始まりとされる〉
<日清戦争前後の大阪の立版古>
〝大阪の立版古は明治十四・五年頃から新板の発行が中絶した。しかるにおよそ十年を経過して明治廿七
年の日清戦争の時、再び貞信が新板に筆をとることになった。これは日清戦争という新題材を得たこと
で活気づいた錦絵界の動向にしたがい、板元から新板執筆の要請があったことが動機であったろう。そ
してこの時に貞信は東京式の図法を採用して新板を製作したのである〟
二代貞信画(日清戦争(明治二十七・八年)頃)
(戦争物)
「威海衛海戦」七枚続(板元不詳)
「旅順港」 四枚続
「金州城小野口徳次功名組絵」三枚続
「日清討戦鳳凰城攻撃大勝利組絵」三枚続
「日清戦争安城渡松崎勇戦組絵」三枚続
(芝居物)
「忠義水滸伝組上」三枚続
「石橋山合戦組上」三枚続
「楠公桜井の訣れ」三枚続
画者不詳
「第五回内国勧業博覧会組上の図」石版 大判二枚続 藤川忠七板 明治三十六年刊
(大阪立版古における新板の打ち止め作品)
「大阪御陣雪中大合戦組上」大判五枚続 東京牧金版 明治二十七年七月刊
(定価十五銭、大判一枚三銭)
〈明治17年刊「安芸宮島一目一覧」大判9枚続、1組13銭5厘。1枚が1銭5厘だから十年間で倍の値段になっている。上掲
は東京版でこれは大阪版。肥田氏は「大阪もこれに準じて考えてよかろうか」とする〉
◇「遊戯の状況<大阪>」
〝大阪の立版古の新板は一応明治三十年前後にその休止譜を打ったけれども、大阪市中のはんこや(絵草
紙店)では「再板もの」「手持の旧板」を取り交ぜ引続いて立版古を販売したので、子供の遊戯として
の立版古はその後も依然行われ、明治末まではまだまだ盛んであった。
◇「凋落」
〝大阪ではその後時代が大正になってからも立版古の遊戯は一応引続いて行われたが、ようやく時世の好
尚が変り何よりも子供の興味自体が追々他の遊戯に移ったため、立版古の存在は次第に細々としたもの
になり、大正の末年には巷間にほとんどその姿を見ぬようになった〟