Top 浮世絵文献資料館 浮世絵師総覧
☆ たんえ 丹絵 浮世絵事典
◯『骨董集』〔大成Ⅰ〕⑮376(岩瀬醒(山東京伝)著・文化十年(1813)成)
(「臙脂絵売(べにゑうり)」の項)
〝按ずるに、板行の一枚絵は延宝天和の比始れる歟。朝比奈と鬼の首引、土佐浄瑠璃の絵、鼠の嫁入り。
芝居の絵は坊主小兵衛をゑがけるなど、其始なるべし。当時(ソノコロ)は丹(タン)緑青(ロクシヤウ)などにてまだ
らに彩色したり。菱川師宣(ヒシカワモロノブ)、古山師重(フルヤマモロシゲ)等、これを画けり。元禄のはじめより黄
汁(キジル)にて彩色す。これを丹絵(タンヱ)といふ。元禄のすゑつころより鳥居清信(トリヰキヨノブ)、其子清
倍(キヨマス)等(ラ)これを画けり。宝永、正徳に至て近藤清春出たり〟
◯『無名翁随筆』(『続浮世絵類考』)〔燕石〕③276(池田義信(渓斎英泉)編・天保四年(1833)成立)
(「吾妻錦絵考」)
〝東都第一の名産として、他郷の者江戸より帰るには、江戸絵と云て必ず是を求る事となれり。世俗之を
一枚絵といふ。先に山東醒世翁曰、延宝、天和の比の一枚絵といふ物を蔵せる人ありて、みるに、西の
内といふ紙一枚ほどの大きさありて、おほくは武者絵にて、丹、緑、青、黄土をもて、ところまだらに
色どり、大津絵の今少し不手ぎはなる物なり。画はみな上古の土佐風にて甚よし。画者の名はしるさず。
もとより歌舞伎役者遊女の類ひの姿をかゝず。元禄のはじめより、役者の姿をかきはじむ。丹と桷とい
ふもので色どれり。江戸真砂子六十帖に云、元禄八九年の頃、元祖団十郎鍾馗に扮す、その容を画き刻
て街に売る。価銭五文、是より役者一枚絵と称するもの数種を刻すと云、宝永、正徳の比迄、専らにあ
り〟
〈享保以前の延宝~天和~元禄~宝永~正徳ころ、丹を多様した一枚絵とあるから、丹絵の記事とみてよいだろう〉
◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之二十八「遊戯」④311
(喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
〝元禄初めより、俳優姿が始まり、丹とすみ汁にて彩る。宝永・正徳に至り、皆これなり。延宝以来の制、
板刊といへども、墨の一編摺りのみ、丹青は筆を以て彩るなり。丹絵(タンエ)と云ふ〟
◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(上72/110コマ)
〝丹絵とて、墨摺版画の上を丹・緑・青・黄汁などで筆彩したものであるが、中で丹色が最も目立つて見
えるからかく名付けたものである。(中略)享保の始め頃、この丹絵の丹を用ひる代りに、紅で筆彩し
たのを紅絵(臙脂絵とも書いた、後の紅摺絵と混同してはならぬ)というた〟
(画工 鳥居清信・懐月堂度繁・奥村政信・清倍等)
◯『浮世絵と板画の研究』(樋口二葉著・昭和六年七月~七年四月(1931~32))
◇第一部「浮世絵の盛衰」「明和の彩色摺から錦絵の出るまで」p20
〝享保十七年板『近世百談』に「浮世絵は菱川師宣が書出し、現在は懐月堂、奥村政信等なり、富川吟雪
房信と云ふ人、丹絵の彩色を紅にて始めたるを珍らしく鮮かなりとて評判云々」とある〟
〈「日本古典籍総合目録」に『近世百談』は見当たらない〉
△『増訂浮世絵』p41(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝丹絵は極めて粗末まる彩色の絵である。僅かな費用で、事を足りさせる為めに、材料や手間賃に制限が
あるので、丹と草の汁と、木梔の汁とを用ひ、手早く塗るのである。従つて到底手数のかゝつた彩色を、
絵の上に現はすことは出来ないが、これらの三色を、巧に配合して、実物には似ても似つかぬ色で、画
面上の色の調和を巧にまとめてゐる。(中略)案外に色の配合が面白い。僅かに三種類の色を、うまく
用ひこなしてゐるので、縦へ実物とは全く違つた色であるとは云へ、絵画としては、配色上いゝ効果を
収めてゐる。色の種類が少いだけに、却て煩雑の嫌ひが無く、簡素明快に色が配られて、好い感じを与
へる。尤も、後には三色の外に、藍や紅などを用ひたものもあるが、それでも丹は色彩の主調となつて
居る。(中略)
丹絵の形の大きいものは、仙花のやうな質の紙を二枚つぎ合せる。この場合には、下から四五寸位の所
で継ぐのである。或は横絵で、中央を継ぎ合せたものもある。これ等の絵は、屏風の貼り交ぜや、掛物、
額などに使用したのもある。題材は色々で美人をかいたのもあり、遊女を画いたものがあるが、浄瑠璃
に関する図も中々多い。それ等は多く所謂公平といふ豪傑に関係する話で、粗剛な体を以て写して居る。
(中略)
丹絵の行はれたのは、元禄頃から宝永正徳年間まで、筆者は、菱川師宣及びその一派、鳥居清信、同じ
く清倍、奧村政信、西村重長、羽川珍重等であるが、尚ほ師宣と伝へて居る丹絵には、筆者を定め難い
のが少くない〟