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☆ たいしんぞめ(さくら) 太申染め(桜) 浮世絵事典
☆ 明和元年(1764)
◯『増訂武江年表』1p174(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(明和元年・1764)
〝六月、亀戸聖廟の傍に、俳人太申連歌舎を建つる(太申は三十間堀の材木やにて、和泉屋勘介といひし
もの也。其の伝記は「昔物語」「名家略伝」等にあり)
筠庭云ふ、太申は異なる事をなして名を售(ウ)りたる者なることは人の知る所なり。亀戸天満宮境
内にて、彼がおかしきことは、赤と青との鬼の木像の彩色剥げたれば、寄進して塗り直せしに、虎の
皮のたふさぎの其の斑文の中に、太申の文字を加へたり。其の以前ににや太申小紋といふ染形をはや
らせんとて、多く染めさせたることにも、おかしき話ありき〟
◯『後はむかし物語』〔燕石〕①328(手柄岡持著・享和三年(1803)序)
〝(明和の頃)材木屋に【居宅忘候、八町堀辺か、名も覚えず】表徳太申といふ者有、尤豪家と見えたり、
太申の名を弘めたき余りに、太申染といふを作る(「太申」の字を篆字化したような図あり)如此の染
也、(〔墨書〕中略)
巴やの豊里に馴染て、此形を豊里に着せ、一枚絵にも、豊里が此染の小袖を着たる所をかゝせて出す、
【春信頃か】芝居にては、中村伝九郎が衣裳に是を【染か縫か】作りて与ふ、其後亀井戸の天神に参詣
せしに、爺と姥との人形のうしろに、鬼二つ立たる(中略)其鬼の褌、虎の皮の場を太申染にしたり、
是も寄進なるべし、又松平西福寺の本堂のうちに、高く掛たる太鼓あり、その撥面に、太申の二字を漆
にて書たり、寄進せし上にて、常におのれが名を撥にて打るゝもおかし、と笑ひき〟
〈「太申染め」は別名を「伝九郎染め」という。中村伝九郎が宣伝に一役買ったことに由来するのだろう。なお、省略
した〔墨書〕は、後年、曲亭馬琴が付記したもので、そこには〝太申は三十間堀の材木屋にて、和泉や甚助といひし
ものなるよし聞伝ふ、こゝにしるさるゝ如く、もつぱら虚名を好て、夥の金を遣ひ失ひしものなりとぞ(以下略)〟
とある〉
◯「奇人太申と伝九郎染」(『此花』大正元年(1912)十一月刊)
〝宝暦八年浅草寺境内に桜樹を寄進し、これを太申桜と名付て、井通熙の文を乞ひて碑を建てたり、この
時太申桜と云ふ浄瑠璃を作らしめ、同年冬森田座二番狂言 雅名鳴響太申桜の場に唄はせたり、なほ同
十一年三月には中村座狂言 間山女敵討に己が事を綴り込ましめ、太申坊長作の役中村伝九郎にて、太
申染を舞台衣裳にさせしは此時なり〟