Top             浮世絵文献資料館             浮世絵師総覧             ☆ だつえば 奪衣婆             浮世絵事典  ☆ 天保年間(1830~1843)    ◯『増訂武江年表』2(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (天保年間・1830~1843)   〝文政の頃より四谷新宿の北正受院に安んずる所の奪衣婆へ、口中の病を祈りて参詣の者多かりしが、嘉    永の今に至り、弥(イヨイヨ)盛になり、諸願を祈り日参百度参の輩多し〟    ☆ 嘉永二年(1849)    ◯『増訂武江年表』2p117(斎藤月岑著・明治十一年成稿)   (嘉永二年・1849)   〝今年より四谷新宿後正受院安置の奪衣婆(ダツエバ)の像へ、諸願をかくる事行はれ、日毎に参詣群集し百    度参等となす。(中略)    (又此の頃、愛宕下の吟窓院へ、だつえ婆の巨像を安置す。坐像にして一丈余もあるべし。古筆了伴の     寄附也といふ)〟    ◯『巷街贅説』〔続大成・別巻〕⑩130(塵哉翁著・嘉永二年(1849)記事)   〝三途川老婆    江府大久保表番衆町西の末南頬(ガワ)に、芝三縁山増上寺末にて、妙龍山正受院と云浄土寺あり、小寺    にして小き阿弥陀堂の内に、焔羅王脱衣婆を安置せり、元来淋しき寺なり、此脱衣婆、予覚て享和文化    の唄、小児のくつめき、咳の平癒を祈るに利益(リヤク)あり迚、偶々は参詣もありしが、追々に流行出て、    去年嘉永と改たる秋の頃より、わきて譜願利益ありとて、遠方よりの参詣日々に増り、六の日を縁日と    して、月の三度はわきて群集(クンジユ)とかや、利益の風説さま/\に奇を伝へ、霊験(レイゲン)有由な専    らに伝へあえり、今茲(コトシ)卯月九日、新町なる牡丹の花見の序、正受院に立寄しに、常の日ながら参    詣多くして、狭き堂内へ入事難ければ、遠く拝して過ぬ、地内もいとせまきに、百度参りの男女も十人    計群集せり、     (中略)    日本橋四日市なる翁稲荷も、此二とせ三とせの時行神にて、こも又参詣群集とぞ、此翁に大久保の右婆    を取合せて、さま/\なる戯れの一枚絵摺出して、錦画ひさぐ見世先にも、又多く人足を止む〟   ◯「浮世絵雑考」島田筑波著(『島田筑波集』上巻・日本書誌学大系49)   〝シホヅカノバアサン    脱衣婆(しほづかのばあさん)の錦絵は、江戸時代の流行神(はやりかみ)の一つで、四谷内藤新宿正    受院と云ふ寺に祀られてあつた脱衣婆である。処が嘉永元年の頃から日本橋四日市の稲荷と共にはやり    出して、当時世上の口碑(うはさ)にぢいさん、婆アさん、姉さんと呼ばれて頗る評判になつたもので    ある。      ぢいさんとは 日本橋四日市の翁稲荷      ばアさんとは 内藤新宿の脱衣婆の事      姉さんとは  御本丸上臈年寄姉小路の事    を言つたもので、嘉永年中の江戸の流行物は、この三つが大関であつた〟