Top 浮世絵文献資料館浮世絵師総覧 ☆ だるまえ 達磨絵浮世絵事典 ◯『当世武野俗談』〔燕石〕④120(馬場文耕著・宝暦七年(1757)序) (「桑名屋嵐孝が女房悟の名言」の項、吉原遊女・中近江屋半太夫の談として) 〝人々集りて、達磨九年面壁の座禅の咄を致しけるを、此半太夫聞て、達磨九年の面壁は何程の事か有べき、 すべて女郎の身の上は、四季折ごとに、見世へ出て、昼夜面壁同然たり、達磨は九年、我は苦界十年あり、 達磨のうは手なり、と笑ひし、此事画工英一蝶が筆に、半身の達磨の顔を傾城に書初て、世上にてはやり、 団扇、たばこ入、柱がくしまでに、人々女郎達磨を用ひけり、半身達磨傾城の画の讃に、 そもさんかこなさんか 九年母のすゐより出たるあまみかな 柏莚 又 九年何苦界十年花の春 同〟 ◯「大達磨」葛飾北斎画(文化元年 江戸護国寺・文化十四年 名古屋)大達磨像 葛飾北斎曲筆 ◯「淡島屋のかるやき袋」p122(『梵雲庵雑記』淡島寒月著・岩波文庫) 〝何故昔はかるやき屋が多かったかというに、疱瘡(ホウソウ)、痲疹(ハシカ)の見舞には必ずこの軽焼(カルヤキ)と達 磨 (ダルマ)と紅摺画(ベニズリエ)を持って行ったものである。このかるやきを入れる袋がやはり紅摺、疱瘡神 を退治る鎮西八郎為朝(チンゼイハチロウタメトモ)や、達磨、木菟(ミミズク)等を英泉や国芳(クニヨシ)等が画いているが、 袋へ署名したのはあまり見かけない。他の家では一遍摺(イッペンズリ)であったが、私の家だけは、紅、藍(ア イ)、黄、草など七、八遍摺で、紙も、柾(マサ)の佳(ヨ)いのを使用してある。図柄も為朝に金太郎に熊がい たのや、だるまに風車(カザグルマ)、木菟等の御手遊(オモチヤ)絵式のものや、五版ばかり出来ている〟 ◯「装潢間語(五)」木村捨三著(『集古』庚午第五号 昭和五年十一月刊) 〝東京の表具師は、多く達磨の絵 および「表具師 大経師 何の某」とかいた長方形の紙を店頭の障子に貼 り附ける〟 引用『仕掛文庫』(山東京伝作・寛政三年板) 〝経師屋の達磨か、宗十郎の横顔じやねへが、横目でにらんでやるもんじやねい〟 『浮世床』二編巻下(式亭三馬作・文化九年板) 〝さて又表具屋の障子は、隣の家を偸眼(よこめ)で、睨居る達磨さ、今も折ふしは見かけるが、昔 ほど沢山はない〟