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☆ すなもじ 砂文字浮世絵事典
 ◯『絵本風俗往来』下編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(121/133コマ)   〝砂文字    砂文字といつても文字をかくのは十中二、三で絵をかくのである、此の砂文字に限り、芝増上寺の御成    門の借馬の馬場の土堤(どて)際の外他所(よそ)へは出ない、其の出ないといふのは、従来砂で絵をかく    のであるから、大地の上へかくので、此の土堤際十坪余の所は、砂文字の所有同様で、其の時代の事で    あるから、場広な所で人の害にならない限りは勝手に私用(つか)ふ、幾年私用(しよう)しても咎められ    もせず、また地代を取るものもなければ払ふものもない、其の十坪余の地面の石や瓦を取り除けて、平    にして始終濡(うるほひ)をふくませるので、此の地面は本絵師が画をかく唐紙が絹地であるから、地面    を作るのが容易でない、それだから何処へでも出て銭を貰ふといふ訳にはゆかない、砂文字をかく親爺    は朝の中(うち)に地面をよく掃除をして、水を注ぎ水気を地面に含ませて、人もそろ/\でかくる時分    に、五色の砂で絵をかくのだ。此の辺一丁ばかりが間には、種々雑多な見世物やら飲食の店が立ち並ん    で出る所で、下流の者の遊山場所だから、天保銭を一ッ持つて来れば、終日飲食に飽き足りて遊べる所    であるから、砂文字が砂を握らない以前から待ち受けて居るました工商の小僧達などは、使いに行く途    中わざ/\道を廻ッて此所(ここ)へ来て、遊び過ぎて使いの用事を忘れたり、時間の遅くなるので主人    から愛宕下の馬場へゆくなと、固くいひ付けて戒めらるゝなどだから、直ぐに砂文字の囲(まは)りなど    には人の山が出来るのである、多勢寄る丈(たけ)銭を投げて遣る、砂文字の絵は正午(ひる)前と午後    (ひるすぎ)日暮(くれかた)前に美しい大作、頼光の鬼神退治、また吉備公の耶馬台の詩を読む図などを    かく、其の余は三、四尺四方の略画が多い、此の砂文字をかく爺には、酒鬼(のんだくれ)で朝から晩ま    で酒気が離れては何も出来ぬといふ男であるから、絵をかく以前にまう酒屋にゆきて、升の隅から呑ん    で来て絵にかゝる、全体酒鬼で身を持ち崩して砂文字と成つたとかで、尤も酔つて居て砂を握ると気韻    が別段いゝと自身いひて居た、酔ひに乗じて戯言(たはごと)を吐きながら画をかくが、何をいふか十中    六、七までは解らない、解らないのは酔ひて居るからであるが、解る処丈(だけ)は看客(けんぶつ)を笑    はせる、絵をかくに砂を扱ふ手振りの可笑しいので笑わせるが、尤も面白いのは砂を握って五本の指の    間から五線を出すのだが、其の線が細大自由に出る、また細大交じりて出る細きは毛の様で太きは二、    三分位に出るのには感心せぬものはないのだ、後に聞けば此の砂文字の爺には盆画の名人で何某(なに    がし)とかだが、酒が呑みたくて上品には身が置けぬといふ所から、砂文字と変じて酒鬼と成つたとの    噂であつたが、砂の扱ひには容易ならない手練があるといふ人のあつたのである〟