◯『骨董集』〔大成Ⅰ〕⑮376(岩瀬醒(山東京伝)著・文化十年成)
(「臙脂絵売(べにゑうり」の項)
〝左に摸(ウツ)し出すは、享保の比の紅絵売の図なるべし〟
(「瞭雲斎蔵」の「臙脂絵売図」あり。【これは享保のころの一枚摺の板行絵なり】の割り書きあり。
図柄は、「吉原」「風流紅彩色姿絵」の文字がある箱を背負い、女の姿絵を棒に吊り下げて売り歩く
若衆。「吉原」とあるから遊女の姿絵である)
〈「姿絵」という言葉には「遊女の姿絵」というイメージがあったのかもしれない〉
臙脂絵売(べにゑうり)『骨董集』所収
◯『恵方土産梅鉢植』(欣堂間人作・歌川国丸画 文政五年()刊)
(国書データベース)
(口絵 星川天蘭なる浮世絵師が芸者の立ち姿を見ながら姿絵を画く場面 5/38コマ)
〝しるやいかにおもふあまりに俤を絵にかきとめて恋したふとは 惟庸
ご秘蔵にすみをすらせてうめ見かな 晋其角〟
(挿絵 モデルになった芸者のせりふ 17/38コマ)
〝わつちやァ にないでもよいからはなをたかくかいておくれ〟
(挿絵 天蘭の画いた姿絵を 18/38コマ)
〝てんらんがこゝろをこめてゑがきしにがほ〟
〝げいこ小まんをうつせしうつしゑ おなじくおそのとかいたるすがたゑ ハテうつくしいとみとるゝ
ところへ(云々)〟
〈其角は宝永四年(1707)の没。恋い慕う芸者の姿絵を絵師に注文するのはそれ以前からあったようだ。この合巻の時代、文
政期、姿絵といえば似顔絵と同義になっていたようである。もっとも「似ないでもよいから鼻をもっと高く」といったモ
デルの要望も容れるのだろうから、実際の容姿とかけ離れることも多いのであろう〉
◯『浮世絵手本』鈍亭魯文序(歌川芳員画・安政二年(1855)刊)
〝菱川が姿絵に春情を動かし、応挙が幽霊に魂を消すなんどは、ちと野暮過て(云々)〟
〈これも女の姿絵〉