☆ 文化六年(1809)
◯『七福譚』合巻 歌川豊国画 式亭三馬画 鶴屋金助板 文化六年刊
屋台蕎麦 豊国画 見返
◯「行楽の江戸」淡島寒月著(『新公論』第三十二巻第一号 大正六年一月)
(『梵雲庵雑話』岩浪文庫本 p102)※(かな)は原文の振り仮名
〝(幕末)先ず「蕎麦」は今川橋の漆喰屋(しっくいや)、回向院前の藪(やぶ)、深川石置場の冬木、一ツ
目の滝蕎麦などで、この滝蕎麦はちょっとした料理も食わせるし柳橋の芸妓などもよく行ったものだ。
それから今川橋のしっくい屋では、蕎麦の親指位の大きい硬いものを喰わせたもので、一体江戸人は蕎
麦は硬いものに限るとしていたので、軟いのは大奥あたりで食べたものだ。それも何分大奥まで持込む
内に冷めたくなって軟く延びてしまう。それを知らずに蕎麦は軟いものだと思って食べたものだ〟