Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ しゅんすい ためなが 為永 春水浮世絵事典
 ☆ 天保十三年(1842)    ◯『【未刊史料による】日本出版文化』第三巻『江戸町奉行と本屋仲間』p75   (「第三章 江戸町奉行の出版行政」)   〝 申渡                         神田多町一丁目 五郎兵衛店 為永春水事 長次郎    其方儀絵本草紙の類、風俗弘為に不相成、猥カ間敷事又は異説等書綴り作出し候儀、無用可致旨、町触    ニ相背、地本問屋共より誂へ候とて、人情本と唱候小冊物著作致、右之内ニハ婦女の勧善にも可相成と    心得違致、不束之事共書顕し、剰へ一へ遊所放蕩之体を絵入に仕組遣し、手間賃請取候段、不埒ニ付、    手鎖申付ル      天保十三寅二月〟    ◯『藤岡屋日記 第二巻』p291(藤岡屋由蔵・天保十三年(1842)記)   ◇出版関係者の処罰   〝十月十六日  寺門五郎左衛門 号静軒。    一 江戸繁昌記作者、板本小伝馬町丁子屋平兵衛御咎メ、所構ニ而、大伝馬町二丁目ぇ引越ス。    一 田舎源氏作(者脱)柳亭種彦・小説(以下ママ)田舎源氏作者為永春水・南仙笑杣人二世人情本作者、      右三人当時之人情を穿、風俗ニ拘候間、以来右様之戯作可為停止、叱り、板木取上ゲ焼捨也〟    ◯『著作堂雑記』244/275(曲亭馬琴・天保十三年(1842)記)   〝天保十二年丑十二月、春画本并並に人情本と唱へ候中本之儀に付、右板本丁子屋平兵衛、外七八人並中    本作者為永春水事越前屋長次郎等を、遠山左衛門尉殿北町奉行所え被召出、御吟味有之、同月廿九日春    画本中本之板本凡五車程、右仕入置候製本共に北町奉行所え差出候、翌寅年正月下旬より、右之一件又    吟味有之、二月五日板元等家主へ御預けに相成、作者春水事長次郎は御吟味中手鎖を被掛、四月に至り    板元等御預御免、六月十一日裁許落着せり、右之板は皆絶板に相成、悉く打砕きて焼被棄、板元等は過    料銭各五貫文、外に売得金七両とやら各被召上、作者春水は、改てとがめ、手鎖を掛けられて、右一件    落着す〟    ◯『著作堂雑記』261/275(曲亭馬琴・天保十四年(1833)記)   〝戯作者為永春水事越前屋長次郎、天保十四年癸卯年十二月廿三日、小柳町の宿所に死す、享年五十四歳、    書肆丁子屋平兵衛来訪の日、語次に是を聞知りぬ、春水は始めせどりと歟云ゑせ本屋にて、軍書講釈に    前座などを読で世渡りにしたり、其後をさ/\戯作を旨としつ、古人南杣笑楚満人の名号を冒して、又    楚満人と称しつゝを、ふさはしからずとて、貸本屋等が笑ひしかば、棄て又為永春水と称し、教訓亭と    号す、文政中人の為に吾旧作の読本抔を筆削し、再板させて多く毒を流したれば、実に憎むべき者なり、    性酒を貪りて飽くことを知らず、且壬寅の秋より人情本とかいふ中本一件にて、久しく手鎖を掛られた    る心労と、内損にて終に起(タタ)ずといふ、子なし、養女壱人あり、某侯へ妾にまゐらせしに、近曽(チ    ガゴロ)暇をたまはりて、他人へ嫁しけるに、其聟強欲酔狂人にて、親の苦労を増たりと云、妻の親里さ    ばかりまづしき町人ならねば、良人死して後親里えかへりにきと聞えたり、吾春水と交はらざれば詳な    ることを知らず、文渓堂の話也〟    〈この「せどり(糶取り)」は古書転売業者。文渓堂は丁子屋平兵衛〉
 ◯『馬琴日記』第四巻 p323(天保十五年正月十六日付)    〝戯作者越後屋長次郎事、為永春水、去卯十二月二十三日、内損の症にて死。享年五十四歳。今日、丁子    屋噂にて、聞之〟  ◯『馬琴日記』第四巻 p323(天保十五年五月六日付)   〝為永春水作大学笑句と云ふものを、お路に読せ、聞候処、経書を玩び、聞に堪ざるものなれば捨去る〟    〈お路は馬琴の嫡子で今は亡き宗伯の嫁。失明後の馬琴にとって、お路は文字通り目であり、余人に代え難い代筆者で     あった〉  ◯『東京掃苔録』(藤波和子著・昭和十五年(1840)四月序 八木書店 昭和48年版)   〝世田谷区 妙善寺(烏山二二七四)真宗本願寺派(旧京橋築地)    為永張水(戯作者)本名佐々木貞高、通称越前屋長次郎。人情本作家としてその著『春色梅暦』は代表    作なり、外数多の作あり。天保十四年十二月二十二日、年五十四。釈龍音居士〟