☆ 天保六年(1835)
◯『巷街贅説』〔続大成・別巻〕⑨253(塵哉翁著・文政十二年(1829)自序)
(天保六年(1835)七月)
〝猩々似童
豊前国宇佐郡宇佐八幡社領小浜村猟師之由
善助忰 岩 八 十一歳
喜 八 八歳
(中略)
右両童子は、頭髪甚赤く、もろこしの毛にひとしき由、世にいふ山師といへる者買取て来り、頭毛の赤
きより思ひ附て、狸々に仕立見世物にせんとて、専らに踊など仕込おるを、廻り方の役人聞得て、町奉
行所へ呼出し吟昧ありしとて、右の書物は得たり、童が伯父といへる者彼山師なる歟、
附説して曰、猟師善助が妻くに、ある日山に行て薪を取帰らんとするに、忘(ママ)然として暫く人事を覚
へす、やがて心附て我宿に帰る事あり、共頃より懐任して射八を産り、又年立て後も薪を山深く取の日、
同じくして喜八をうむ、是山精山鬼のたぐひ、交りて此童等を産したるか、かゝる奇怪の児を二人迄も
ふけたるを恥て、何国へか竹衛知れずなりけんと、
翁思ふに、もし山鬼のたぐひ交りて、体をなせしものならんには、毛髪の赤きのちみならん哉、外に人
間にたがへる処あるべき也、世に白癩といふもの、頭髪赤くして面色は白艶なるもの也、もしくは其た
ぐひにや〟
◯『事々録』〔未刊随筆〕③238(大御番某記・天保六年(1835)記事)
〝本所のいやしき町家に十二三の子に弐人髪赤く異行也、是を猩々なりとて舞を教、人の見世に備ふ、去
ル午年京師在勤の時、四条河原にて見せけるは是なりける〟