☆ 天保十四年(1843)<七月>
筆禍 錦絵 類板「将棋合戦」画工名不明
処分内容 ◎板元(武家方家来)不明
◎絵草紙屋(小売り)辻屋・加賀屋 残部没収
◎画工(記載なし)
処分理由 無届出版(類板)の売買
◯『大日本近世史料』「市中取締類集 十八」書物錦絵之部 第二六件 p139
(絵草紙掛り名主の市中及び諸色掛り名主宛通達案)
〝 南伝馬町弐丁目 源四郎店 絵草紙屋(辻屋) 安兵衛
家主 源四郎
米沢町壱丁目 政吉店 絵草紙屋(加賀屋)吉兵衛
家主 政吉
当七月、長谷川町定次郎店絵草帋屋(具足屋)嘉兵衛より掛り名主月番小網町(普勝)伊兵衛え差出し、
改済相成候将棋合戦三枚続錦絵、此節武家方家来内職板行致し候由之品、安兵衛買取、右之内吉兵衛え
も分ヶ遣、売買致し候趣相聞候、右は名主改印相違之品、取上候間早々可差出、安兵衛儀、重て右躰不
束之儀於有之は商売可差止候條、吉兵衛儀も心得違致間敷候、孰れも開板致し度品有之は、掛り名主え
差出し改受候様可致候、
右之通、御奉行処え伺之上申渡之
卯十月〟
〈二種類の「将棋合戦」(三枚続錦絵)が出回った。一つは一勇斎国芳画「駒くらべ盤上太平棊」(三枚続・具足屋嘉
兵衛板)これはこの七月、絵草紙掛り名主・普勝伊兵衛の改(アラタメ=検閲)を通っていたので、当然問題にはならな
い。ところが、もう一つが問題あっで、武家の家来が内職で拵えた類板。それを引き取って売ったのが辻屋と加賀屋。
無論、無届け出版であるから、残部は没収となった。この件に関する、町年寄・館市右衛門の書付によると、辻屋は
引き受けた百枚の内九十八枚が売れたので、残り二組(ママ)を町年寄に提出したとある。また、これを取り扱った業者
は辻屋や加賀屋に限らなかったようで、糴(セリ)売り(行商)の太助なるものは、十月三日より所々の絵草紙屋に約八
百枚ほど分けたともある。(上掲「通達案」の前にある館市右衛門の「名主改印相違錦絵組之通達之儀申出候趣奉伺
候書付」)この件は以下の三点を辻屋と加賀屋に誓約させて決着をみた。今後は武家内職の品は取り扱わないこと、
また次に違犯した場合には商売禁止処分にすること、そして開板する場合は必ず改を受けること。しかしこの辻屋安
兵衛、『藤岡屋日記』天保十五年正月記事によると、同十四年末に売り出された芳虎の春画板「土蜘蛛」が摘発を受
けた時、やはり小売りした廉で今度は逮捕されている。けっこうしたたかなのである。(弘化元年(天保十五年)の
筆禍史参照)なおこの件に関して、内職した武家方にどのような影響が及んだのかはよく分からない。ところで、国
芳の「将棋合戦」、出版手続き等に問題はなかったが、巷間には次のような噂が飛び交い、これはこれで取締り当局
の判断を悩ませていた〉
◎参考「駒くらべ盤上太平棊」三枚続・一勇斎国芳戯画・具足屋嘉兵衛板(天保十四年七月刊)
△「流行錦絵の聞書」(『開版指針』所収・国立国家図書館蔵)
〝(天保十四年)九月中(国芳)画ニて将棋之駒の軍絵、出版いたし候所、右の内可見咎処は飛車の成龍
王ト可書処龍口(タチノクチ)ト有之、桂馬ハ雁馬(ガンノウマ)ト有之、其外の駒の文字、何れも寄せ字ニ有之、
角(カク)行、矢を射居、其矢楯にあたり居候、是を下説ニ、惣て物事筋道ニて矢も楯もまならぬと申判事
物の由、評致候由、及承候得共、是は別段お調も無之、其後も将棋の絵草ぞうし等出板いたし候〟
〈飛車成り「龍王」を「龍口(タツノクチ)」と読み「桂馬」も「雁馬」と見た。そして角行の放つ矢が相手方の楯に当たっ
ているところから、ここには「矢も楯もたまらない(気がせいて、じっとしていられない)」の諺も潜んでいるとも
いう。「龍口(タツノクチ)」「雁馬」「矢も楯もたまらない」。そうして見ると、角成り竜馬の駒もなにやら怪しい字面
だ。この絵には何か寓意が隠されているように見える。例えば、「龍口(タツノクチ)」を「辰ノ口」と読みかえれば、江
戸城の辰ノ口、つまり老中や三奉行(町・寺社・勘定)で構成される幕府の評定所(最高裁判所)があったところと
なる。また「雁馬」も「雁の間」と読めば、老中が登城の際に詰める席となる。それに「矢も楯もたまらない」も加
わり、角行成り竜馬の字面も何やら言いたげだ。してみるとまたまだ多くの暗示が潜んでいるのかもしれない。しか
しそれらが果たして何の寓意なのかということになると、なかなか焦点が定まりにくい。にもかかわらず寓意がある
はずだと思いこんでいるから、強引な解釈も浮かんでくる。この「聞書」は町名主のものだから、憚って書かなかっ
たのだろうが、実際には老中や町奉行の具体的な名前、水野忠邦や鳥居耀蔵といった名前も取り沙汰されていたに違
いない。しかしこうした浮説の出所が、板元や絵師の意図によるものかどうかとなると、なかなか決め手になるもの
がないのだろう。結局、取り調べの対象にもならず、この「駒くらべ盤上太平棊」はその後も売り続けられた。検閲
担当の絵草紙掛りは、判じ物とは承知しているが、その制作側の狙いを見極めようにも明確な証拠がないのである。
さて国芳の判じ物について『開版指針』の中から名主の報告をもう一つ見てみよう。これは「将棋合戦」の約一ヶ月
後に出版された「墨戦之図」についての報告〉
「駒くらべ盤上太平棊」一勇斎国芳戯画
(「錦絵の諷刺画」データベース・ウィーン大学東アジア研究所)