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☆ しゃれぼん 洒落本浮世絵事典
 ◯『洒落本大成』第七巻 p417   (田水金魚著『淫女皮肉論』の解題によると、序に〝またしやれ本の類ひかへ〟とあるのが「洒落本」名    称の早い私用例という)    ◯『物之本江戸作者部類』p91(蟹行山人(曲亭馬琴)著・天保五年(1834)成立)   〝明和の季の比より寛政の初まで、柳巷花街に耽りぬる嫖客のおもむけを半紙二ッ裁にしたる一小冊を綴    りて、よくその情状を演たる誨淫の艶史を世俗洒落本と喚做したり〟    〈「小書衣裳付」に会話体という洒落本様式を確立したと云われる『遊子方言』の刊行は明和七年(1770)である〉     〝洒落本は半紙を二ッ裁にして一巻の張数三十頁計、多きも四十頁に過ぎず。筆工は仮名のみなれば、傍    訓(ツケカナ)の煩しき事もなく、画ハ略画にて簡端に一頁あるもありなきもあり、その板一枚の刊刻銀二三    匁にて成就しぬるを、唐本標紙といふ土器色なるを切つけにしたれば製本も極めて易かり。されば本銭    (モトデ)を多くせずして、全本一冊の価銀壱匁五分也。そが中に大半紙二ッ裁にせし中本形なるは、或は    弐匁或ハ弐匁五分に鬻ぎしかば、その板元に利の多かる事いへばさら也。貸本屋等もその新板のなるは    一巻の見料弐拾四文、古板なるを拾六文にて貸すに、借覧せるもの他本より多かりけれバ、利を射ん為    に禁を忘れて印行やうやく多かるまゝに、寛政八九年の比、当年洒落本の新板四十二種出たり、この故    にその板元を穿鑿せられしに、多くハ貸本屋にて書物問屋ハ二人あるのみ。みな町奉行所へ召れて吟味    ありしに、その洒落本の作者は武家の臣なるものもあり、御家人さへありければまうし立るに及ばず。    皆板元の本屋が自作にて、地本問屋の行事に改正を受けず、私に印行したる不調法のよしをひとしく陳    じまうしゝかバ、件の新板の小本四十二種ハさら也、古板も洒落本と唱る小冊ハこの時、みな町奉行所    へ召拿られて遺なく絶板せられ、その板元の貸本屋等ハ各過料三貫文にて免されけり。そが中に馬喰町    なる書物問屋若林清兵衛ハ貸本屋等とおなじかるべくもあらず、享保以来の御定法を弁へ在りながら、    制禁の小本を私に印行せし事、尤不埒也とて身上半減の闕処にて、その罪を宥められ、又日本端四日市    なる書物問屋上総屋利兵衛ハ先年もかゝる事あり、今度ハ再犯たるにより、軽追放せられけり【是より    石渡利助と変名したるが数年を歴て赦にあひけれバ、先のかづさや利兵衛になりかへりて旧町に在り】    こは根岸肥州の裁許にぞありける〟    〈今田洋三著『江戸の本屋さん』(NHKブックス・昭和52年刊)によると、「寛政八九年の比」は馬琴の記憶違い     で享和二年のこととしている。『江戸町触集成』第十一巻 p246(触書番号11501)に次のように出ている〉     〝享和二戌年於南御番所絶板    「小冊物 四拾五通」    右小冊類不残絶板被仰付候砌、仲間内之者壱人内々ニて板行仕候者有之、御吟味之上商売御差留、住所    御構被仰渡候〟    〈「小冊物」とは洒落本のこと。商売禁止・追放処分になったのが上総屋利兵衛〉  ◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)   〝しゃれ本は狐の穴を掘って書き〟「柳樽109」文政12【続雑】注「遊里が主題」    〈遊女を「狐」と呼んでいたようだ。穴は内情や欠点を云う。洒落本とはそれらを暴露する本だと〉