☆ 享和三年(1803)
◯『享和雑記』〔未刊随筆〕②71(柳川亭著・享和三年序)
〝近頃正月初出に七福神参りといふ事始りて、遊人多く参詣する事となれり、その七福神は不忍の弁才天
谷中感応寺の毘沙門、同所長安寺の寿老人、日暮の里青雲寺の恵比寿、大黒、布袋、田端西行庵の福録
神等也、近頃年々にて福神詣する人多くなれり〟
☆ 明治十二年(1879)
◯「読売新聞」(明治12年1月25日)※( )のルビは原文のもの
〝今年は松飾(まつかざり)をする者も多く 年礼の往復もはじまッたから 去年の暮 高畠藍泉(たかば
たけらんせん)さんが再興された日暮里の布袋をはじめ七福神詣でがはじまり 来る二十九日にハ軍談
師の燕林(えんりん)・貞吉(ていきち)・鱗慶(りんけい)また画工(えかき)の広重 その外が七福神の見
立(みたて)にて参詣に出かけ 別品(べツぴん)に琵琶を弾せるといふので 尾上菊五郎(おのへきくご
ろう)も見物かた/\出かけるとのうはさ〟
〈谷中の七福神巡りは、明治11年暮れ、戯作者の高畠藍泉が再興したとのこと。日暮里の布袋は修性院。講釈師は桃川
燕林・邑井貞吉・西尾麟慶(三人とも二代目)か。この広重は三代目〉
☆ 明治二十六年(1893)
◯『古代浮世絵買入必携』p21(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)
〝鍾馗、天神、七福神、唐人物、其の他神仏の図は凡て不向きなり〟