◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝白酒
名代にて売るしろ酒に賑ひし人をもはかり出すとしま屋
盃にうけてだん/\雲かゝる山はまき絵のふじのしろ酒
臼のめの谷間をいでゝかはら家の浪間にいつる雪の白酒
水もちのおはぐろくさくなるころに白酒ひさぐ豊島やの見世
白ざけのまだ口あけもせぬうちに人からさきへはかるとしま屋
山川にみなぎる瀧のしろ酒に人の浪うつとしま屋の見世
あき樽を不二ほど高くつみあげて白酒うらん豊島やの門
雛だなの花の銚子にをり形の蝶まで酔ふてねぶきしろ酒
山々のもてなしぶりや雛棚へよしのゝさくらふじの白さけ
あづさ弓引しぼりたる白酒を矢野のつきてのはやき店先
としまやがうる白酒はふじがねの雪にかも似て夏までももつ(画賛)
としまやにひく白酒の石臼を◯として人の雲はなすらん(拾遺)〟
〈豊島屋 積樽 群集〉
◯『絵本風俗往来』上編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(23/98コマ)
〝豊島屋の白酒
神田鎌倉河岸なる豊島屋十右衛門は当時人の知りたる酒店なり、此の河岸に鍵の手に十の字を印に染め
出だせる暖簾をかけて、米店・金物店・荒物店・居酒店、何れも大きなる店構(みせかまへ)せるは皆豊
島の一家なり、故に人、鎌倉河岸といはずして、此の河岸を豊島屋河岸と里称(りしょう)せり、三月雛
まつりに用ゆる白酒を売り出す、此の店の製は豊島や得色の醸造にて無類の味はひ、されば王公貴人も
殊の外御賞美ありける、故に白酒の売出しは店前の人、山をなし吾先きにと争ひ求む、先づ店頭へ桟敷
を構へ、入る客出る客を量りて売る、中には人堵(じんと)すさまじきに驚き、絶倒する客ありしとて、
兼ねて医師気付け薬を準備して控へたり、白酒の空樽を御堀端へ積みしに、当店前より神田御門へかけ
て樽の堤を築ける如くなりし、此の以前、浅草並木に山川屋と呼べる酒店ありて、白酒の名家と聞こへ
しが、後は絶へてけり〟